高原好日

 「高原好日」は2004年にでた加藤周一さんの軽井沢交友録ともいうものです。
元は信濃毎日新聞に連載され、そこから単行本となったものですが、今回、ちくま
文庫から装いをかえて出版され、簡単に入手できるようになりました。

高原好日―20世紀の思い出から (ちくま文庫)

高原好日―20世紀の思い出から (ちくま文庫)

 小生のアンテナは錆ついているせいもあって、元版がでたことはまったく知りません
でした。どちらかというと、加藤周一さんのものにかぎらず、小生が一番好みとする
内容であるにもかかわらずです。
 夏に避暑のため軽井沢で過ごすのが習いであったというのは、やはり普通の庶民の
家庭とは違うなと思いますが、加藤周一さんのものには、そのへんはさらっと書かれて
います。
「 昔少年のころから私は信州浅間山麓の追分村(現北佐久郡軽井沢町追分)で夏を
過ごした。そして多くの人々に出会い、彼らとの交わりを愉しんだ。・・・
 東京で医業を営んでいた父の患者のなかに信州出身の人があって、追分村と油屋の
主人を紹介してくれたからである。父に避暑の習慣もなかったが、油屋の話を聞いて、
高等学校の入学試験準備をしていた息子を一夏そこへ送ろうと考えたらしい。」
 旧制高校受験の頃でありますから、いまから70年以上も昔のことで、その頃の
軽井沢町追分というのは、どんなに田舎で静かであったかは想像をはるかに超える
ものがあります。それでも、東京から列車にのってそこ
までいって、宿で暮らすというのは誰にでもできることではなかったのでしょう。
ご自身は、高校受験の勉強のためにきていたのですが、ほかには高等文官試験などの
勉強のためにきている青年達がいたとありました。
 この宿を紹介してくれたのは、風間道太郎さんだとありました。
「 風間さんは、追分村に油屋という旅館があって、そこに逗留しているのは高等文官
試験の準備をしている大学生ばかりだというような話をしたらしい。もし私が高等学校
の入学試験のために勉強するつもりならば、それほど好都合な場所はないだろう、と
いう趣旨であった。そうして私たちのためにその油屋の主人を紹介してくれた。」
 この交友録で紹介されている方のなかで、風間道太郎さんはもっとも有名でないほう
のお一人でありましょう。
「 中学生の私にとっても風間さんは、目立たないおだやかな人で、静かな声で話し、
いつも私の家族に親切だった。それ以外のことを私は長い間彼について知らなかった。
 しかし風間道太郎という人は、それだけの人物ではなかった。後になって私が知った
ように、彼には二つの人生、二つの顔があったのだ。その一面は、おとなしい普通
以上に親切であたたかい人物である。しかしもう一つの面は、ゾルゲ事件に連坐し、
1941年に逮捕、44年に処刑された尾崎秀美の親友で獄中からの尾崎の手紙を
編集して、戦後に『愛情はふる星のごとく』を刊行した詩人・編集者・知識人である。」
 この風間さんの名前に見覚えがあると思いましたら、法政大出版局から尾崎秀美
さんについての著作をだしていて、それを購入したからでありました。
加藤周一さんのお父さんの患者さんで、軽井沢追分に紹介したのは、風間道太郎さん
でありましたか。