「図書」3月号

 本日届きました「図書」3月号に、渡辺守章さんが「眼力、あるいは『聴き
取る目』」という文章を寄せています。文章の書き出しは「加藤さんー時に
『加藤先生』とお呼びすることがなかったわけではないが、・・」となっており
まして、この時期に「加藤さん」となると、それは「加藤周一さん」であります。
 最近の小生の関心事は、加藤周一さんのお別れ会の会場にあったお孫さんと
いうのは、どなたの子どもということでありまして、これへのてがかりになるものが
ありましたら、ここに記録していくのであります。
 この文章で渡辺守章さんは、次のように書いています。
「 加藤さんに初めてお目にかかったのは、多分1960年のことで、加藤御夫妻と
吉田秀和御夫妻がご一緒だった。その頃こちらは、最初のフランス留学から帰って
来てそれほど時間も経っていず、仏文の大学院にいて、....」
 1960年には、奥様がいたということでありますね。別に隠しているわけでも
なんでもなくて、活字にして発表することがなかっただけであるのかもしれませんが、
年譜マニアとしては、加藤周一さんの友人、知人が、加藤さんのプライベートな
一面について書き残しているのを見る事ができればよろしいのですが、次に加藤
御夫妻というような文章を見るのは、いつのことでしょう。
 渡辺守章さんは、この文章中で、加藤御夫妻と記しているのは、ここだけで
ありまして、これだけみますと、この時の夫人が、喪主をつとめた方であると
思えないことはないのですが、そんなことはないのでありました。