文学学校 4

 文学学校ということ言葉を記していましたら、文学運動という言葉が頭に
浮かんできました。大阪文学学校などは、文学を通じて社会とかかわるという
ような意味合いを持っていると思われますが、そうしたことを、その昔は文学
運動といっていたように思います。文学運動なんて言葉は、最近ではほとんど
目にすることもありません。ネットで検索をかけても、なんとなくすぐには
めざす処にたどりつくことができなかったようです。
今から、40年ほど前には、普通につかわれていたのでありますけどね。
平野謙さんの著作には「文学運動の流れのなかから」というタイトルのものが
ありました。昭和44年(1969年)筑摩書房からでたものです。
平野さんのこの本へのあとがきには次のようにあります。
「 全体として本書はこの十年間における私自身の日本プロレタリア文学運動の
評価とその推移とを、かなり率直にあらわしていると思う。」
 小生が文学運動といって思い浮かべるのは、「新日本文学会」とか「大阪文学
学校」の活動でありますが、もちろん、この両会ともにプロレタリア文学運動と
深い関わりがあったのでした。
 同じ本にある平野謙さんの文章を、さらに引用です。
「 かって私は革命運動に組織的な関係を持ったことがなく、これからも関係する
とは思えない。そういう男が過去、現在、未来を問わず、革命運動についてウン
ヌンすることはオコの沙汰かもしれない。ただ私は革命運動の一端といえないことも
ない文学運動に、多少の関係をもったことがある。その経験をここに語りたい。
昭和初年代におけるプロレタリア文学運動とのかかわり、昭和20年代における
戦後文学運動とのかかあり、昭和三十年における民主文学運動とのかかわりを
通じて、三十年以上も私の一個の文学的回想をここに素描しておきたいのである。」
 戦後文学運動というのは、もはや戦後ではないといわれるようになって、社会
運動としては展開しなくなってきているようです。