文学学校 3

 本日も川崎彰彦さんが大阪文学学校をベースにした「新文学」という文芸誌に
残した「編集後記」をまとめた「もぐらの鼻歌」(海坊主社 86年刊)を手にして
います。文芸誌を編集していたのは、70年ころでありますので、まとまったのは、
ずいぶんとたってからのことでした。さらにそれから20年もたって見てみましたら、
これが時代を感じて、貴重な記録にも思えるのでした。
たとえば、71年10月号
「 この号は大阪・京都両文学学校の在校生作品集である。ことし四月から七月に
かけて両校で制作された多くの作品のなかから、チューターの目、新文学編集委員
目を通って残された秀作、力作、怪作群である。かならずしも完成度の高い作品ばかり
とはいえない。たとい失敗作でも若々しくひたむきなココロザシをこそ買いたいと
思う。
 小説では寄藤弘範『宵に寄す』をフリーパスさせるかどうかが問題になった。
ぎょうざ屋の従業員たちから紅衛兵や紅軍兵士を連想する、その連想のありかたが
これでいいのか、ということだったのだが、これはこれで掲載し、例会での論議
待とう、ということになった。・・・・・
 両作品とも規格化された労働への強い嫌悪がモチーフになっており、その点でも
文校生の最近の作品傾向を代表している。ドロップアウトへの希求がこのところ、
とみに強いのだ。日本という国は、鋭敏な青年たちによって見限られつつある。
 空から突然、大量の人間が降ってくるようなけったいな国からは、さらにどこかへ
抜け落ちていきたくなるのも当然ではないだろうか。」

 ドロップアウトへの希求というのは、この時代からあったのですね。それが
積極的なものから、消極的になると引きこもりとなるように思いますが、高揚した
60年代後半が終わって、70年代にはいるとこのような気分の時代になっていたと
いうことがわかります。
 編集後記に登場する文学学校修了生とおぼしき人で、名前を見て、この人知って
いると思ったのは、75年4月号でした。
「宇多滋樹『産毛』も質朴な運びだが、ジーンとくるところがある。文学にとって
大切な何かを把持しえている、とはいえないか。この人は書くべきものをもっている
という気がする。」
 数年前に、カンヌ映画祭で賞を受けたこと河瀬直美監督の作品に登場していたのが、
奈良のミニコミ誌の編集をしている「宇多滋樹」さんですが、もともとは文学学校
出身者でありましたか。