枯葉の踊り

 季節としては、ちょうどこの時期に見られる光景を串田孫一さんは「枯葉の踊り」と
名付けて、エッセイ集の表題としています。
「 それはもう秋の末というより明るく晴れた冬のはじめのことであった。木々は
 あらかた葉を落とし、小鳥の囀りもなかったが、私は重なる丘の枯葉を賑やかに 
 踏んで、どこまでも歩いていきたかった。

  灰色の空で、さまざまの色の木の葉が光った。突風に面食らったように見えたが、
 すでに大気の流れに乗り、自分たちの役目を果たした満足を踊りながら味わっている
 ような、見事な眺めであった。」

 昔の唱歌には、「焚き火だ焚き火だ落葉焚き」なんて歌詞をもつものもありましたが、
最近も昔と同じように落葉は見られるものの、落葉をもやしているところはどこにも
ありません。ものを燃やしたときにでるダイオキシンが発生しないようにするために、
焚き火も控えられるようになったのですが、環境を守るために昔からの風習が姿を消し
つつあります。落ち葉はアスファルトの地面ばっかしのために、落ちて土に還ることも
こともできず、袋にいれられてゴミとしてだされることになるのでした。
 エッセイ集「枯葉の踊り」は、71年11月に雪華社から刊行されたものです。
串田孫一さんは、もともと哲学者でありますが、専門分野の著作よりもエッセイストと
してのほうが有名です。(そのうちに、演出家で役者の串田和美の父親としてのほうが
有名となるかもしれません。)
 この本の最後におかれているのは、その名も「特装本」というものです。
「このところ何冊か続けて自分の本の特装本が造られている。そのことはそう深く
考えることもなく、悦ばしいし、羨ましいという人がいるのも当然であるが、私自身は
少々食傷気味である。贅沢な言い方のようであるが、特装本が造られなくとも、上品な
本ができさえすれば充分である。
 私の考える上品な本というのも、その時々によっていろいろであるが、大事なことは、
なんといっても内容にふさわしく、その上での上品さである。つまり内容以上に上品
でも困る。」
 
 内容以上に上品というのは、串田さんの場合、どのようなものをというのであり
ましょう。内容にふさわしくないものという装幀の本については、次のように書いて
います。
「 出版社としては、私の本のようにそう多く売れる筈がないものでも、熱心に売ろう
とするのであろうが、店頭で人目をひくためにけばけばしい装幀をされると、こちらは
真っ赤な上衣を無理にきせられて街をあるかされているような気持ちになり、せっかく
できた本にも全く愛着がなくなる。」
 ちなみに、この本の装幀は串田さんみずからがやっておられます。そういえば、串田
さんは、装幀をよくした渡辺一夫さんに近しい人でありました。