「渡辺一夫装幀・画戯集成」

 昭和50年(1975年)に亡くなった渡辺一夫さんは、六隅許六という
名前で装幀をやっていました。自分の著書を中心ですが、戦後の代表的な
作品には筑摩書房からでた中野重治斎藤茂吉 ノオト」48年4月刊ですが、
これは装幀は渡辺一夫となっていまして、この前に担当した48年2月刊の
ボードレール全集」河出書房 は装幀が「故六隅許六」となっていました。
「六偶許六」(むすみ ころく)というのは、「ミクロコスム」のアナグラム
あったはずです。

 渡辺一夫さんの装幀をまとめているのは、一枚の繪株式会社からでている
渡辺一夫装幀・画戯集成」でありますが、この本は渡辺一夫さんが亡くなって
から7年もたってやっとこさでたものであります。
 この本の編集は串田孫一、企画は疋田寛吉 装幀は串田光彦さんとあります。
一枚の繪株式会社は、竹田厳道さんが経営をしていました。
串田孫一さんについては、検索をかけるまでもないのですあ、「光彦さん」は
息子さんとのことで、グラフィックデザイナーだそうです。( 演出家の
串田和美さんの弟とか。)
 企画の疋田寛吉さんは、「荒地」グループの詩人だようですが、本業は
なにであったのでしょう。本日の検索では、人物が浮き出てくるようには
なってきません。書についての著作が多いようでありますが、串田孫一さん
との接点はどこにあったのでしょう。
 版元の「一枚の繪」というのは、個人の自宅にお気に入りの絵画を購入して
かざろうということで竹田さんがつくった会社とシステムでありまして、
たくさんの画家に作品をかかせては、生活ができるようなしかけをしたひとで
あります。
よくぞ、この会社が40年ももったものです。
 昭和30年代前半に北海道でこども時代を過ごした人には、当時の北海
タイムスの社長であったといったほうが、わかり良いかもしれません。
タイムスの社長を退陣してから、出身地である夕張等を地盤に衆議院選挙に
うってでて、選挙区には「竹田巌道」という看板がいたるところにかかって
いたのが記憶に残っています。 
 そんな記憶で一番ぴったりしたのは、ネットでみつかった、次の記事であり
ます。( 記したのは衆議院議員(元北海道知事) 横路孝弘夫人、)

「 先頃亡くなられた竹田厳道さんのことを思い出し胸が詰まった。
知事当選直後、「公式の場も多くなるでしょう」と、お祝いにバッグと草履を
対で下さった。
 横路節雄とともに夕張をふるさととし、仲の良い飲み友達でもあった
竹田さんが、父の死後、父親代わりを公言され細やかなお心遣いをして
下さったことを、本当に有り難く思う。」

 不思議な人の縁によって、この「装幀・画戯集成」ができあがってきたと
いうことを強く感じることです。