- 作者: 辻原登
- 出版社/メーカー: マガジンハウス
- 発売日: 2000/01/01
- メディア: 単行本
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本日も辻原登さんについての話題です。
今回、辻原さんの書物を手にして、まじまじと名前をみて、「辻」の
しんにゅうのところが、てんが二つついているのを発見しました。
そうでしたか、辻原さんも先輩作家の辻邦生さんと同じくで、しんにゅうには
てんを二つつけるのが正しいのでありましたか。
辻原さんは、高校の進学校を卒業してから、大学に進学せずに世にでたと
なっています。「熱い読書 冷たい読書」(マガジンハウス)には、生い立ちに
関することが散らばって書かれています。
「 一人の映画狂の少年がいて、生まれ育った地方都市にあった五つの映画館に
昭和25年ごろから34年にかけて、掛かったすべての映画を見たとする。
いったい何本の映画を見たことになるのか。少年はその町をでるまで少なくとも
千本はくだらない映画をみて、頭はすっかりしびれたようになっていた。
彼は大阪の高校へいったが、相変わらず授業をさぼって映画館をかたっぱし
から見て歩き、ついに映画監督になることに決めて家出して松竹蒲田撮影所の
門をたたく。もちろん相手にされず、家に連絡がゆき、連れ戻される。
1962年十六才の五月のこと。」
「 もう十五年も昔のことになるが僕は商社にいて、日本で最初に中国のマツタケを
輸入する仕事にかかわった。いまでは中国産マツタケは六月末頃か雲南産が
出回って、珍しくもなんともないが、そのころはまだごく一部の人を除いて、
中国にマツタケがあることを日本人はしらなかった。」
辻原さんの芥川賞をうけた「村の名前」は、中国が舞台でありました。
印象的なオープニングのところでは、中国のいなかの駅についたところで、
「すいか売り」の声が聞こえて来そうになるのでした。
このあと、中国の鳥人」(椎名誠原作)の映画をみましたら、やはりすいか
売りが登場して、中国といえば、すいか売りというすり込みができてしまい
ました。
「村の名前」には、中国との取引を精力的にやっていたときの辻原さんの
姿が、周到に隠されているに違いありません。