限定本の版元 11

「 今は美の混乱時代である。この混乱から秩序をとりもどすために、書物も
 また悪戦苦闘しなければならない。美しい書物を作ろうとする者は、美を
 乱し美を奪う時代の意識とも闘わねばならない。やすらかに美しい書物が
 作られた中世紀を私は羨ましく思う。」

 これは、壽岳文章さんの「美しい本とは」という文章の一節です。「今は美の
混乱時代」とありますので、これの書かれた時代を確認してみましたら、昭和
8年10月となっていました。壽岳さんが、現在も健在でありましたら、
この状況をなんというでありましょう。

「 今われわれが用い得るどんなに劣った活字をも、それが読易くさえあれば、 
 聡明な叡智は稍みるべきものに変える。劣った字体面のところどころに、
 勝れた活字体を混入するよりは、むしろ劣った活字体をもって全部を統一した
 ほうが良い。同じ頁、同じ書物に、美しくもあらぬ異体のさまざまの活字が、
 あるいは太く、あるいは細く雑然と入り混るほど醜い景色はない。できる
 ならば同一の大きさの同一字体をもって一冊の書物を貫く、これが書物を
 美しくする叡智の一つである。」

 壽岳文章さんがいうところの「勝れた活字体、劣った活字体」の意味合いが、
判然としませんが、摩耗している活字、新品の活字と理解してもいいので
しょうか。

「 立派な書物は、機械の冷たい正確よりも人間の温かい不正確を喜び、
 死んだ美しさよりも生きた美しさを喜ぶ。このことは、機械を捨てて人間の
 手に就き、人間の手で切った父型、人間の手で調合したインク、人間の手で
 漉いた紙、人間の手で引く印刷機を用いて、みごとな書物を作り出した 
 モリス以来の多くの先覚者の業績が、論議の余地なきまでに証明する。」

 以上に引いた文章は、壽岳文章さんの「本の正坐」という本に収録されて
います。「凝然と端坐する生身の鑑真像のように、語られるならば本の場合も
正坐の姿勢が望ましく、またこのもしいからである。」というのが、この書名の
いわれであるようです。