いまから30年以上も前のことになりますが「季刊湯川」第1号 77年刊に
宇佐見英治さんが「泉窗書屋閑話」というタイトルの文章を寄稿しています。
この文章は、その後湯川書房からでた「夢の口」80年に収録され、さらに
自選随筆集となる「樹と詩人」にも再録されることになったのでした。
この文章以外で、小生は宇佐見英治さんが、この雅号をつかっているのは
見たことがなく、どのように読むものであろうかと調べることもなく、本日に
いたっておりました。( 「仙台が親戚」様によりますと、「せんそう」と
よむのだそうです。)
どうやら、北軽井沢にある宇佐見さんの山荘にちなむものではないかと
推測をしているのですが、これについては確証を得ることができておりません。
この「泉窗書屋閑話4 印影」という文章の終わりのところには、次のような
くだりをみることができます。
「 現にこの稿も三日三晩机に坐りつづけ、一字一字桝目を埋めながら書きつづけて
きたものだが、印刷となると原稿紙の罫も桝目も取り払われ、私の拙い筆蹟に
かわって精興社特製の活字が多分燦爛と光るので、こんな無駄話にも読者の
なかには多少の同感をおぼえられる方があるかもしれない。」
宇佐見英治さんの著書で、小生の手元にあったものは、どれも精興社の印刷に
よるものとなっていますが、宇佐見さんが上のように記すということは、彼の
著書は例外なく印刷は精興社特製活字を使うことを条件としていたのでしょうか。
このように書いているということは、この文章を印刷する際は、精興社活字を
使うことというべしという以上のものを感じることです。
「 当世活字の魔力は印章の神秘を遙かに凌ぐらしく、街には量産印刷物が怒濤の
ように氾濫している。つい先年までせめて書物の奥付に著者が雅印を捺した風習
まで、『検印廃止』『合理主義』の燎原の火に追われて、当節ではすっかり見られ
なくなってしまった。」
最近では喜国雅彦さんの著書に検印があることで話題になりましたが、検印を
捺すのはたいへんな労力であるようで、千部も捺して、貼り込むというのは、相当な
コストになるのでしょう。
湯川書房の本のすべてに検印がおしてあるわけではないようですが、湯川の
宇佐見英治さんの本には、「泉窗山人之印」というのがすべて和紙に捺印されて、
べつに貼り込みされているのでした。
検印というのは、明治時代には著作に対して印税がきちんとはらわれなかったので、
それがないものはいわば海賊本とみなしていたことのなごりであるように読んだ記憶が
ありますが、これの廃止が一般的となったのは、いつのことでありましょうか。