宇佐見英治さんの著書「明るさの神秘」(みすず書房版)の帯には、次のような
キーワードがならんでいます。
「 宮沢賢治、ヘルマン・ヘッセ、片山敏彦について。澄明な詩的・思索的エッセイ。」
宇佐見英治さん理解のキーワードで、ここにあがっていないのは「辻まこと」と「石」
なんてところでしょうか。
宇佐見さんの著書のタイトルには、これらのキーワードがはめこまれているのですが、
このなかでは「石」というのが、小生になじめないものでありました。人物でなく、
自然というのともちょっと違う「石」であります。
宇佐見さんの著書で、「石」を関したものには、次のものがあります。
・ 石を聴く 朝日新聞社 79年
・ 雲と石 宮沢賢治のこと 限定版 91年
・ 石の夢 筑摩書房 94年
石への偏愛をかたっているのは、「雲と石」という文章のなかでのことです。
「 はじめて宮沢賢治の詩を読んだとき、私が何よりも驚いたのは、空や雲の隠喩に
じつにさまざまな鉱物や鉱石の名がもちいられていることであった。名といったのは、
賢治の詩にあわられる岩石、鉱物のなかには、私が実物を見知っているものもあるが、
なかには名だけを知っていて、せいぜい博物館の標本室か手持ちの標本箱で一、二度
見たにすぎないものがあるからである。・・・
また賢治の詩に促されて、岩石の節理や石理や班晶を一層注意深く見るように
なった。私は中学生のように石を(わずかずつだが)採集しはじめ、班晶をるーぺで
熟視することを学んだ。」
宇佐見さんが「石」を偏愛するにいたったのは、宮沢賢治の詩の素晴らしさに魅せられて
それを理解するためであったということがわかるのですが、宝石が美しいとは思ったり
するものの、鉱物が美しいなどと思ったこともない小生には、なかなか理解しがたい
世界であるのでした。