貸本全盛期

 「貸本小説」末永昭二さんによると「昭和30年代初めの貸本全盛期には、
全国で二万から三万軒の貸本屋が営業していたという。平成9年の商業統計では、
コンビニエンスストアが全国で約三万六千店、この数字を比べてみると、どれ
だけ貸本店が多かったかが想像できる。」とあります。
 貸本屋全盛期に小学生であった小生は純農村地域に住んでいたせいもありまして、
貸本屋の雰囲気を味わったことがないのでありました。
「sheepsong55」さんにコメントをいただいて、昭和40年代まで貸本屋が健在で
あったことを知ることができたのですが、どうして、こんなにも貸本の世界に縁が
なかったのかが、ほんと不思議です。
 小生の父方の祖母は、当時、札幌の中心部に住んでおりまして、学校が休みに
入りますと、泊まりがけで祖母のところに遊びにいくのを楽しみにしておりました。
 滞在期間中には、この家から下駄履きでいけるところにある映画館(東映
二番館でした。)に連れていってもらったのですが、そのおかげで日本映画の
黄金時代を体験することができました。
 したがって、末永さんが次のように書くのは、よく理解できるのでした。
「 貸本小説の華は、なんといっても時代小説だ。
 大衆小説の主流が時代小説だったことは、当時の単行本の巻末自社広告を見ても、
 作家や読にインタビューしても容易にわかる。一般の読者は圧倒的に時代小説を
 支持していたし、昭和三十年代中期から後期には、貸本出版社の発行するものは、
 ほぼ時代小説に限られていたといっても過言ではない。・・・・
  当時の読者には演劇や講談などで培われてきた共通の土壌があり、ある程度
 キャラクターの説明がなくても了解できたので、読者は作品世界にすぐ入り込む
 ことができ、作者は新しい魅力的なキャラクターを創造する手間が省けるという
 ように、双方に利点があったことも時代小説の人気の要因だろう。」

 かっては、大衆のものであった歌舞伎とか文楽が、見物する側の理解力不足に
よって、超難解なものとなってしまっているというのは、時代の変化というだけ
ではすまないものがあるように思います。
 現在、流通している大衆小説においても、何十年かたつと時代背景や風俗が
かわってしまって、註釈をつけなくては理解できないものになるのでしょう。
作家 田中康夫さんのデビュー作「なんとなくクリスタル」という作品は、作中に
登場する用語に註釈がついているということで話題となりましたが、これから数十年
たった時には、この註釈にさらに註釈をつけるということが必要になるのでしょうか。