國學院の裏の顔

 國學院大学というと、折口信夫が長らく教鞭をとって国文学では
定評のあるところです。神道学科というのが、この学校を学校たらし
めていることは、いうまでもありません。
 表がこうしたどちらかというと、日本の伝統を守って行こうという
流儀であるとしたら、裏にあったのは、戦後の洋学派のたまり場で
ありました。
 平凡パンチに連載され、のちに新潮社から単行本となって、最近まで
新風社文庫にはいっていた嵐山光三郎の「口笛の歌が聴こえる」には、
どちらかというと主流ではない、ある時期の國學院人脈についての
記述があります。

「 英介がいた大学は英語、フランス語科に闊達の教師がそろっていた。
英介はその教師にあこがれて、この大学にきたのだった。
 フランス語は、一年のときは橋本一明。二年のときは飯島耕一で、
三年は安東次男が教えていた。いずれも極道づらの教師ばかりだった。
 英語は一年二年とも篠田一士が教えていた。この授業ばかりは、
授業にはでても、試験にはでなかった。
 四年館つづけて、授業をうけるつもりだった。ひりひりする教師の
とんがった風にあたりたかったからだった。篠田一士は学生に圧倒的な
人気があった。
 フランス語の橋本一明は、原口統三の友人として知られていたが、
雨の日は学校にこない、というのを主義にしていた。
 橋本一明は、そのことを、一年生の第一回目の授業で宣言した。
・・・ 
 三年のときは安東次男である。しかし、教える気がない点では、
橋本一明、飯島耕一以上で、生徒も何かを学ぼうという態度が
いっさいなかった。
 その一点で教師と生徒は固く結ばれていた。教師は教えることを
嫌い、生徒は学ぶことを嫌い、これぞ理想の授業なのだ。
 三年の英語のクラスは、教師は丸合田、という名前だった。
 丸合田教師は、授業を最初の日からたてつづけに三週連続で
すっぽかし、四週目に初めて姿をあらわすのだ。・・・
橋本一明と同じく、あまり授業をやりたくない様子だった。髪の毛は
長くて、それがハラリと額にかかると、アイルランド眠狂四郎だ。
『 それから私の名前ですがね、丸合田じゃありませんよ。教務課の
連中が間違えたのが、一つ、あとは雨のしみだな。丸合ではなくて、
丸谷というのが苗字だ、それから田というのは、才一だ。才と一を
つめて書いたところへ雨のしみがついて、田となってしまった。』」

 授業をほとんどしたくはないが、ある意味で才能あふれる集団で
あったことがわかります。もちろん、このなかには、吉田健一
いたのであります。
 学生であった嵐山光三郎は、当時のことを小説に書いて残して
いますが、丸谷才一さんは、彼の小説の主人公が、國學院のような
雰囲気の大学職員となる小説を発表しています。彼の代表作となる
「笹まくら」の主人公ですが、この主人公も国粋と自分の過去との
間で居心地の悪さを感じるのでありました。