平凡社つながり 3

 嵐山光三郎さんは、平凡社は無頼の徒の巣窟と書いていますが、昨日に引用した
ところを見ていますと、すぐに名前の浮かんでくる人がいるのでした。小説の中に
具体的なことが書かれているにもかかわらず、思い当たらなかったりして、どうでも
いいことでありますが、ゴシップ好きにはたまらないものです。
 たとえば、このようなくだり。
「この、眼鏡男は、安東次男と同じく美術全集の職場にいて、安東次男と、かなり
親しくしている感じだった。文化勲章をもらった日本画壇長老の息子ということを
あとで知った。」
 さて、「文化勲章をもらった日本画壇の長老」とはだれでありましょう。
 そうして、次の人はどうでしょう。
「英介は、高校時代から西巻與三郎の名前を知っていた。西巻は『美術手帖」の前身
である『美術批評』編集長として名が知られていた。東野芳明針生一郎らの新人批評
家を発掘した男だった。英介が高校時代の愛読雑誌は、西巻與三郎編集の『美術批評』
と、伊達得夫編集の『ユリイカ』、サントリーのPR誌『洋酒天国』この三誌だった。
 英介は息を呑んで西巻を見た。
『美術批評』の西巻與三郎が、月刊『太古』にいたのかという、驚きだった。眩暈がし
た。」 
 このくだりは、嵐山さんが入社したての平凡社で目にした人についての肖像であり
ます。嵐山さんは、「月刊 太陽」に配属されるのですが、雑誌の編集部は、本社から
300メートルほど離れた別館にあったとのことで、雑誌と書籍と百科事典は別の会社の
ようにも思えることです。
 嵐山さんがいらした頃は、アナーキストは一名とありますが、これはもうあの人し
かいないということですね。