小説家で、旧かなつかいをもっぱらにしていて、一番若い人というのは、
だれでありましょうか。旧かなを通すということは、発表の場が限られる
ということでありまして、あちらの新聞には新かなつかいで発表し、文芸
雑誌には旧かなで発表するというのでは、なんとなく首尾一貫していない
ように思われてしまいます。よほどの大家であったとしても、新聞などは
簡単には旧かなつかいでは、紙面掲載が許可になりそうにありませんので、
旧かなにこだわると、文章の発表の機会を失ってしまい、生活が成り立た
ない可能性があるのでした。
昨年にPR誌「ちくま」に文章を連載していた「高井有一」さんは、
小生が眼にするものは、すべて旧かなでありまして、これは相当に徹底
しているなと感じたのですが、実際のところはどうでしょう。
その昔には、新かなつかいでなくては新聞等は掲載されないという
ことになったために、かなつかいで旧となるようなところを、すべて
いいかえて、新とか旧とかいう議論が無用になるような文章を書いていた
人のことを聞いたことがありました。
高井有一さんは、大学を卒業後は共同通信社の文芸記者をしばらくして
いたのですから、この時代にはもちろん、会社の表記にしたがっていたので
ありましょう。
先日にブックオフで手にした「立原正秋」新潮社は91年11月刊行で
ありますが、しっかりと旧かなつかいがまもられています。高井さんは32年
生まれでありますから、この時にはまだ50代でありました。
高井さんは、同人誌「犀」で、立原正秋と一緒になるのですが、この雑誌の
同人には、神津拓夫、岡松和夫、佐江衆一、白川正芳、加賀乙彦などが
いるのですが、高井さん以外に、旧かなを常用している人はいないはずで
あります。
「 そのやうな彼がどうして、偏狭な外国嫌ひを標榜するやうになったのか。
かれは何事によらず説明するのが嫌ひだったから、推測するしかない。」
「立原正秋」 24ページからの引用ですが、「どうして」とあるのを
「だうして」と表記したい気分になるのでした。