武藤康史さんの「文学鶴亀」を斜め読みしているのですが、昨日に続いて、
この本から「朗読ソフト」についての話題を材料とします。
「私の本棚」のことを昨日に記しましたが、いまでもラジオでは朗読の
番組などは、残っていると思います。むかしは、NHKのこどもむけの番組
にも「おはなしこんにちわ」というものがありまして、たしか田島令子さんが
こどもを対象にかたっておりました。これではそうそうたる作家たちが作品を
書き下ろしていたはずですが、小生の記憶にのこっているものには、別役実の
「淋しいおさかな」という作品集にまとまっているものがあるのです。今から
どのくらい前のことになるでしょうか。
いまでも、白石加代子が「百物語」というシリーズで語り物をステージで
展開していますが、それは動きなどもあって「朗読」というのともちよっと
違いますでしょうか。
武藤康史さんが取り上げるのは、「詩の朗読ソフト」についてであります。
最近は、「詩のボクシング」とかいう試みがあって、声にだして発表をする
のを見物、鑑賞するというのは珍しいことではありませんが、ありそうで、
なかなか機会がないのは、過剰なパフォーマンスを伴わない詩の朗読であり
ましょう。
「朗読を録音したレコード、テープ、CDなどをひっくるめて朗読ソフトと
いう呼び方をしてみるならば、詩の朗読ソフトは谷川俊太郎の自作朗読が断然
素晴らしい、というよりこれしかいいものはないと思っていた。
だいたい文士の朗読などというものは、・・読み方は二の次、当人の声さえ
聴ければ満足です、という態度で接するのがならわしのようなものなのに、
谷川俊太郎と来たら朗読そのものが滅多やたらにうまい。変に芝居がかったり
深刻ぶったりしない困難なうまさを達成、もちろんよく理解していればこその
さりげなさである。悪達者とは感じさせず、声は一向に老いず、もう無茶苦茶に
心地よいのだ。卓絶している。
といっても詩の朗読ソフトなんて寥々たるものだからあまりくらべようも
なかった・・・」
これを引用していて、いまから30年くらいも昔にでた長谷川四郎さんの
詩のことを思い出しました。長谷川四郎全集の年譜には、次のようにあります。
「 74年6月20日 <詩人劇場>(詩の朗読と歌の集い)第一回として
<安田南との夕>を開き、詩を朗読する。」
この時の長谷川四郎さんは66歳で、桐朋学園短大演劇科の教授をしていた
のでありました。自ら詩を朗読するのは、演劇科で教えていたことと関係が
あったのかどうかわかりませんが、けっしてパフォーマンスが得意な方では
ありませんでしたし、訥弁でしたので、詩の朗読自体を人前でするというのが
意外な感じを受けるのでした。