「文学鶴亀」より

 武藤康史「文学鶴亀」をぱらぱらとページをめくっていますが、あちこちで
手がとまってしまいます。へえーこのような書き方があったのかと、新しい
発見のようにも思うのでありました。
 たとえば、「朗読批評を求めて」という文章であります。近年は、「声にだす
日本語」とかいうベストセラーがありましたが、あの方のアプローチはなんとなく、
声にだすことが目的であって、「朗読」ではないような気がするのでありました。
武藤さんの書き出しは、つぎのようなものです。
「朗読に関する本を最近いくつか読んだのだが、これが映画や詩歌や小説であれば、
それを論じた映画批評や詩論や歌論や文芸批評などのほうがよっぽど面白いという
ことが良くあるのに、朗読となるとどうもいけない、朗読を評したり論じたりした
文章は朗読そのものの魅力にとても及ばない、かすりもしないという感じがして
します。
 斉藤慎爾『偏愛的名曲事典』(三一書房 94年)には福島泰樹『曇天』なども
とりあげられていた。さまざまなレコードやテープに寸評を加えたこの本が朗読や
オーディオブックも含めていることにはじつは欣然、わが意を得たりといいたい
ところなのだけれども、・・書き方はどうも隔靴掻痒なのだ。」

 斉藤慎爾さんについては、中井英夫つながりで注目をしていて、このかたが編集し
ている本を購入したこともあり、この「偏愛的名曲事典」は新刊ででたときに購入
したのですが、なかをあまりのぞいていないせいもあって、このような「朗読」に
ついての文章があることは失念しているのでした。
「朗読のカセットやCDは今でもぽつぽつ出続けているが、善し悪しはほとんど
語られず、小泉今日子吉本ばなな読んだCDのように意欲的な企画はあとが続か
ないし、竹中直人夢野久作を読んだカセットのように廃盤になっている名作も多い、
これは批評がないからではないかと腐っていたところに・・という本にであった。」
 新潮社からは朗読のシリーズがカセット、CDででていました。朗読のシリーズと
しては、あれが一番でありましたでしょうか。小生は、このシリーズではわずかに
一冊、すまけいが語る井上ひさし「新遠野物語」を所持するのみですが、こまつ座
専属役者であった井上作品の朗読は、ベストの組み合わせと思いますが、これを
評しようとしたら、紋切り型のことばしかでてこないのでありまして、まったく
とほほな状況であります。
 むかしは、ラジオで「わたしの本棚」のような朗読番組がありまして、今よりも
ずっと朗読に関しては恵まれた環境にあったようです。朗読批評というと、なんとは
なしに、話芸の批評にも思えてしまうのでありました。