林達夫 研究ノート

 平凡社から71年から翌年にかけてでた「林達夫著作集」は、めったに文章を
発表しないことで知られた林さんにも、こんなに文章があったかということで
話題になったものです。この「著作集」には、いくつもの新しいしかけがあった
ように思いますが、そのひとつには、最終巻末におかれた解説かわりの対談が
ありました。のちに増補されて「思想のドラマツルギー」として発表されるので
すが、久野収さんが聞き手となっての対談は、あまり知られることのない林達夫
さんの一面をひきだして、話題となったものです。
 あとは、著作集の月報を「研究ノート」として、各巻24ページの冊子だてと
なっていました。いまにいたるまで、林さんについての文章をこのようにまとめた
ものはなくて、これだけでも十分な価値があると思います。この著作集が刊行され
てから35年が経過しましたが、この研究ノートに寄稿している人で、いまも健在
な人は、大江健三郎さん、山口昌男さん、中村雄二郎さん、五木寛之さんほか数人と
なっています。
 ここでは、蘆原英了さんの「私の眼に映った林さん」という文章の一節を紹介し
ましょう。
「 私は戦前からの弟子で、もう30年以上も林さんに接していることになる。
 弟子の癖に『先生』といわないのは、何か林さんに『先生』とよばせないような
 ものがあるからだと思っている。・・・
  林さんはなかなか文章を発表されず、寡筆で知られているが、それは無精の
 ためでなく一つには発表の時期を選んでいられるためからであろうと思われる。
  無精でないことは、良く知られている。たいへんな勉強かで、あまりの勉強に、
 かえって軽率に筆がとれないことは、自身語られている。ノートはたくさんとら
 れており、私もそのいくらかは垣間見ているが、実に凄い勉強家である。・・
  私は林さんの生活ぶりを見て、昔からひそかに敬服している。
 何時もジャーナリズムの寵児になることを避けながら、ということは湯水の
 ごとき収入を拒否しながら、貴族的生活を全うしておられることである。
 これは名人芸に等しいと思って眺めている。
  私が林さんを好きな理由の一つに、骨董に手をださないことがある。
 道楽がないことである。庭造りをやって植物に凝ってもそれをまた自分の学問の
 中に還元する。」

 どなたかが、気に入った全集の月報を「須川バインダリー」で製本してもらって
書架におきたいと記していたのを見たことがありますが、小生にとっては、この
林達夫著作集の「研究ノート」は、須川バインダリーに製本してもらいたいと思う
ものです。( それこそ特製本ですが、どのくらい費用はかかるのでしょうね。)