二つの時代を生きる

四百字十一枚

四百字十一枚

 坪内祐三さんの「四百字十一枚」を図書館から借りてきました。
新刊であったときに、書店で手にして立ち見をして、どのような本が
取り上げられているかはチェックをしたのですが、どうして「みすず」
からかなと、すこし違和感を感じて、前著の「雑読系」と同様に、
そのうち落ち着いたころに図書館から借りて読もうと思ったのでした。
借りて読めない本は買うしかありませんが、読みやすいものは借りて
読みましょうというのが、本の置き場のことで家族に迷惑をかけている
当方の自戒。
 しかし、小生の敬愛する長谷川四郎さんは「知恵の悲しみ」のあと
がきで、次のように書いているのでした。

「今は経済的にいって、この本が発行されただけ売れてくれればよいと
思うだけです。
 仮の世に家は借りてぞ住むべかり
  本は買うてぞ読むべかりける  」

 これを眼にしてから、長谷川四郎さんとか、小沢信男さん、川崎彰彦
さんの本などは、たとえいただいたとしても、買って読まなくては
いけないと思ったのでした。
 
 坪内祐三さんの「四百字十一枚」には、小沢信男さんとほぼ同世代の
作家(「大正末から昭和初めに生まれた人々、色川武大開高健
吉行淳之介山口瞳中井英夫など)について、「彼らは、太平洋戦争の
戦前戦後という明治維新に匹敵する大きな時代変化の中で、自我形成して
いった。まさに『一身にして二生を経る』である。そこに実は、文章家と
しての彼らの魅力が隠されている。
 そういう文章家たちがどんどん消えていってしまうから、私は寂しい。
そういう味わいのある作家たちは、一人減ったとして、次の補充は
絶対にきかない。」
 ということで、小沢さんの「悲願千人斬りの女」を紹介するのでした。

 坪内さんがいう二つの時代というのは、戦争前と戦争後のことであり
ますが、小沢さんが「サンパン」に連載しています一代記をみまして、
二つの違った時代ということを感じることです。
 本日の書き出しのときには、二つの時代ということで、小沢信男さんの
旧制中学での同学年「小野二郎」さんのことについてふれようと思った
のですが、これは、明日にいたしましょう。