メイラーと山西英一

 ノーマン・メイラーが亡くなったとの報道がありました。最近ではほとんど
名前を聞くことがなくなっていましたが、60年代後半から70年代にかけて
は、日本でもずいぶんと翻訳がでておりました。
 小生がノーマン・メイラーのものを手にするようになったのは、やはり大江
健三郎の著作を通じてであったでしょう。当時のベトナム戦争をめぐってメイラーも
積極的に発言をしていたので、そうしたことも若い人にアピールしたのでしょう。
早川書房から同じような装幀でシリーズ化されていたほか、新潮社からも作品集が
でていました。
 名前が有名であったほど読者がいたのかなと思いますが、「ぼく自身のための広告」
なんていうタイトルはいかにも若い人にうけそうではないですか。
大江健三郎がメイラーについて書いている本(たぶん、「厳粛な綱渡り」でしょう。)
も、メイラーのものもすぐにでてくるところにはありませんので、確認も引用も
しようがありませんが、メイラーが読まれていた時代のことを記憶しておくことに
いたしましょう。
 初期の作品は 山西英一という翻訳家が担当していました。メイラーといえば、
山西英一という名前が思い浮かびます。新潮文庫に収録となった代表作「裸者と死者」
ほか、日本におけるメイラーの最高の理解者でありましょう。
 この山西さんにはドイッチャーの「トロツキー」三部作の翻訳もあるのですが、
こちらはたんに翻訳者であるにとどまらず、トロツキー主義者でもあったようです。
山西さんという人物についての記事があまりないのですが、メイラーの翻訳者で、
トロツキー主義者というのは、なんとも不思議な世界を生きていることです。