頁間を読む

 本日の話題は、井上ひさしさん「本の枕草紙」文春文庫 によっています。
井上さんは、「頁間を読む」のが好きといっています。行間を読むとは聞き
ますが、頁間とは、はてなと思います。それについては、このように書いて
います。

「 頁の間に挟まっているあれやこれやを引っぱり出しては机上に並べ、
 ああでもない、こうでもないと考えるのが好きであるというだけのことで。
  となると新刊本はあまりおもしろくない。・・・」

 こうして、古本で購入した忠臣蔵一括資料135冊の頁をめくりながら、
それにはさみこまれていた東京新聞「愛読者くじ」とか、「喫茶室 虎の門
トリオ」発行のサービス券、はがきなどから、この書物の蒐集家を思い描くの
でありました。

「 そこで想像したのですが、この蒐集家は虎の門周辺にある会社、あるいは
 官庁につとめていたのではないか。日曜のサービス券がないのが、その証拠
 です。日曜は当然家にいた。そして毎日のようにコーヒー屋で明治時代に
 発行された忠臣蔵関係の本を読む。昭和34年当時で、すでに相当の年輩
 だったと思われます。部下をつれて飯を喰いにでるわけでもない、ひとりで
 コーヒーをすすりながら書物の頁をめくる。出世コースから外れた、孤独な
 初老の男の姿がうかびあがってきます。会社のOLたちからは変人などという
 あだ名を奉られていたかもしれません。・・・・
  とにかく古本には、ちょっと出歯亀趣味でいやらしくはあるものの、
 こういった楽しみがあります。」 
  
 古本を購入して、かっての所有者を推測させるてがかりのようなものを
見いだすのは、楽しいことであります。これは新刊では味わえないことで
ありますし、新しい古本で頁に線が引かれていましたら、これはごめんしてと
なりますが、有名人の旧蔵本でありましたら、逆にその線がひかれている
ことが珍重されるのでありました。
 せっかくであれば、こちらの想像力をかきたてられるような挟み込みの
ものが残されていると、その本の魅力はまして、その挟み込みも含めて
その本であると思えてしまいます。
 古本やさんは、こうした古本愛好家がいることを知って、商品となる本から
挟み込みを取り除かずに販売するようです。
 
 小生が、先日に中野書店「古本倶楽部」から購入した「極光のかげに」には、
かっての所有者がのこした、この作品の登場人物についてのメモと、日本専売公社
印刷された縦書きの半罫紙2枚がはいっていました。
 この半罫紙には、ペン字で習作の断片があるのですが、2枚目の終わりには
 了とあるのでした。
「 ひょっと陸上のほうを振り返ると高田の眼にロッキードの猛爆によって
 炎々と燃え上がるマニラの街が入った。・・」
 この書き出しから、2枚にわたるのですが、「極光のかげに」という
ベストセラーのなかに従軍してたいときの記録がはいっているのは、この作品を
読んで、自分もこのようなものを書くことができないかと試みたのなごりででも
あるのでしょうか。本に挟み込まれているのですから、ごくごく断片ですが、
これが有名な詩人の未発表となる詩の断章でもありましたら、新発見の資料と
いうことになって、話題になるのでしょう。
 まあ、そのようなことはほとんどなくて、大半は市井にあって、なにかを
発表しようと試みて、思いをはたすことができなかった人たちの熱っぽさを
感じるに終わるのでした。