老後の準備2

 庄野潤三さんの最近の小説を読んでいて、一番感じるのは、これに登場する
家族たちはどのように思っているかということであります。
 椎名誠の書いたものを読んでいたら椎名の娘さんは、作品にとりあげ
られることをいやがって、息子の岳くんは別にかまわないといったので
岳少年の分身が作品世界に登場するとありました。
 庄野さんの作品には、庄野夫婦のこども、そのつれあい、そして孫たちが
登場するのですが、この作品世界にはほとんどが実名で登場しているとしか
思えないのであります。これだけプライバシーとか個人情報がいわれるので
ありますから、たとえ親族であっても、一定の了解は得ているのでしょうね。
 そのむかしの私小説とは違いますので、赤裸々に生き様をということは
ありませんし、世間様に顔向けができないことをばらしてということも
ないのではありますが、それでも、次のようなくだりを読むと、息子さんの
ことを考えて複雑な気分になってしまうのでありました。

「 次男の勤めている新星堂では、きびしい中からボーナス一月半分が出たと
いう。よかった。次男は今の読売ランド前の坂の上の住宅を買ったときの
銀行ローンを抱えているので、ボーナスがでないと困ったことになる。
よかった。」

 とは、いうものの庄野さんの昔語りにはついついひきつけられる。とくには、
次のようなところです。
「 昔、荻窪の井伏さんのお宅で小沼丹と一緒になった。丁度、小沼の半年間の
ロンドン留学の思い出話の第一回が『文芸』に載ったばっかりで、そのことが
話題になった。
 題は『椋鳥日記』。井伏さんはこの題がお気に召さないらしい。
 『椋鳥じゃねえ』といわれる。 
 井伏さんの口振りでは、動作に落ち着きのない、せかせか歩きまわる椋鳥に、
井伏さんはいい印象を持っておられなかったようだ。もっとも、こちらはまだ
そのころむくどりがどんな鳥なのか知らなかった。」 

 身近な家族のことなどを題材にとって、下卑たものにならないのが庄野さんの
芸の力というのでしょうか。この手法は、なかなか真似ようと思ってもできる
ものではありません。