考える人 文庫特集 5

 ここ何日か新潮文庫のことを記しているのですが、いま作業をしているところの机の
ところには50冊を超える本がならんでいるのですが、その背表紙に新潮文庫のものが
一冊も見当たりません。当方の新潮文庫ばなれは相当に進んでいるといえます。
 これの原因は、なんのことはなしで、最近ほとんど新潮文庫を購入していないという
ことによります。昨日に新潮文庫の「非プレミアム化」と記しましたが、今から40年
ほど前の新潮文庫はこうではなかったのにと、すこし残念です。
 プレミアム文庫との比較でいうと、新潮文庫には年譜とか著作目録がついているものが
少ない(ほとんどない)ことがあげられます。解説は重宝ですが、簡単でもいいのです
が、年譜がついていればねと、これはないものねだり。
もう一つは、一括復刊ということが定期的になされていないことですね。
 いまでも若い作家の話題作などを積極的に取り込んでいるということはあるのでしょう
が、そうした若手作家に食指が伸びないというのは、これは新潮文庫のせいではなく、
当方の頭が固くなっていることの結果です、
 これまで拙ブログで取り上げた新潮文庫の記事を見返しをしてみましたが、この辺の
ものは、当方にとっての新潮文庫のイメージであるなと思いました。
 たとえば、次のようなものです。

文学交友録 (新潮文庫)

文学交友録 (新潮文庫)

 庄野潤三さんのものは、晩年期の作品が多く文庫化されています。これなどは当方に
とっての新潮文庫イメージであります。
 これに先行するものとしては、こういうものがあります。
荻窪風土記 (新潮文庫)

荻窪風土記 (新潮文庫)

 岩波で読むことができない文庫ということでいえば、井伏翁などは新潮文庫の主流で
ありますね。
 いまは岩波文庫にはいってしまった高杉一郎さんの「極光のかげに」も文庫化された
のは新潮が初めてでありました。
極光のかげに (1951年) (新潮文庫〈第260〉)

極光のかげに (1951年) (新潮文庫〈第260〉)

 これなどは中公文庫にあってもおかしくないのですが、なぜか新潮文庫にあって
存在感のあるものです。
 そう思ってアマゾンのリンクをはろうとしたら、岩波文庫しかでてきませんでした。
当方にとって、これは新潮文庫の一冊です。
自註鹿鳴集 (岩波文庫)

自註鹿鳴集 (岩波文庫)

 このようにまじめなものに続いて、不真面目路線といえば、次のものがその代表で
あります。
櫻画報大全

櫻画報大全

 馬おじさんが赤瀬川さんとすれば、泰平小僧は、この人。
編集狂時代 (新潮文庫)

編集狂時代 (新潮文庫)

 てなことをやっていたら、いつまでたっても終わりそうにないことです。
それにしても2000年代のものは何冊あったろうかです。