本は寝かせて

 堀江敏幸さんのエッセイ集「回送列車」はシリーズも3巻目となりました。
 今回はタイトルが「アイロンと朝の詩人」とありますが、あいかわらずで
瀟洒な装幀で堀江さんのファンには歓迎されているでしょう。装幀者のところには、
堀江さんと中央公論社デザイン室とありますから、堀江さんのアイディアを形に
したのでありましょうか。
 本日の表題とした「本を寝かせて」という文言があるのは、「回送列車3」と
副題がついている「アイロンと朝の詩人」に収められている「1910年のための
本の整理」という文章のなかです。

「 ここ15年ほどのあいだにたまった大量の書籍を整理することになった。・・
 俗にいう『研究』とは縁のない単行本や文庫本だから、その気になれば処分も
 できたはずだなのだが、細切れに二週間ほど書棚をいじっているうちに、やはり
 本は『寝かせて』おくべきかもしれないと、このところの捨て癖を反省してつく
 づくそう思った。
  蔵書リストを作成したり日記をつけたりする習慣のない私には、結局、本の
 顔や手触りが記憶を引き出すとても重要な装置になるのからだ。」

 まったく本の処分をしない当方は、このような書籍を処分したことを反省する
なんて文章をみますと、我が意を得たりという感じになるのでありました。
堀江さんとは、当方は、手帳に日記もつけていれば、購入書もかんたんなメモに
しているので、堀江さんとは状況がことなるのですが、それはないこととして、
自分に都合よく「本は寝かせて」なんてのをみると、30年も寝かせたものは、
相当に熟成しているだろうと思うのでした。
 そういえば、開高健の小説にも「ロマネコンティ」の古いワインをサントリー
佐治さんと飲む話がありましたが、寝かせすぎてもいけないというようには
読めたのでした。