待ち時間の本

 本日は午後から車の点検にあわせてタイヤ交換を実施です。先日に

電話で時間の予約をしたら全部で一時間ほどと言われていましたので、

一時間なら、店の近くを散歩でもしていればいいかと思ったのですが、

残念ながら本日は雨。ということで、本日は点検が終わるまでの待ち時間

に読む本を持参でありました。

 本日の本は、一冊は中公文庫「大阪自叙伝」藤澤恒夫であり、もう一冊

は谷崎の新書版全集22巻でしたが、どちらも中央公論社のものかな。

本日の外出の時に立ち寄った書店で購入した本が、この谷崎の本に収録

されている文章と照応しましたです。

 まずは、本日も目にしていた谷崎の「装釘漫談」という文章の一部を引

用であります。

「私は自分の作品を単行本の形にして出した時に始めてほんたうの自分

のもの、真に『創作』が出来上がったと云ふ気がする。単に内容のみなら

ず形式と体裁、たとへば装釘、本文の髪質、活字の組み方等、すべてが渾

然と融合してひとつの作品を成すのだと考へてゐる。・・近頃では何から

何まで人の手を借りず、細かいことに迄注意を配って、自分で一冊の書物

を作りあげるのが此の上もなく楽しみである。」

 谷崎でありますから、このようなことを言えるのかもしれません。それでも

自分の思いを通そうとしたら、そんな菊版にこだわって小説をだしましたら、

売れ行きがよろしくないので、初版部数は四六版の半分になりますよと言わ

れて、やはり印税は多いほうがいいので、そこは譲るとなるのです。

 譲れないのは、装画であるようで、絵描きに任せたら、「絵描きは本の表紙

や扉に兎角絵をかきたがる。千代紙のやうにケバケバしい色を塗りたがる」

と散々であります。「一冊だけ見ると花やかで綺麗なやうだが、さう云ふ本が

幾冊もズラリと書棚へ並び、やがて古ぼけて来た時の薄汚さを想ふがいい」

となります。昭和8年の文章でありますから、どの本のことを頭において、書い

た文章であることか。

 本日に書店で購入して、この文章と響きあった本は、次のものです。  

傍らにいた人

傍らにいた人

 

 装釘にこだわる堀江さんの新刊であります。このようなものがでていたのは

知りませんでした。当方がチェックしているものに日経の広告がないからであ

りますね。書店でこれの背文字をみましたら、版元はどこであれ、すぐに堀江

さんのものとわかります。時によっては、自ら指定したデザインで本を作られる

という話を聞いたことがありますが、これは装画野見山暁治さんで、装丁は

間村俊一さんでありました。

 小説を別にすれば、毎日新聞からでた書評集、平凡社からでた芸術論集、

中公からでた「回送電車」など、並べてみても薄汚さを感じることはありませ

んですね。

 この「傍らにいた人」は、日経朝刊に連載のコラムをまとめた一冊で、ここで

取り上げられている本のかなり多くは、当方にとっても「傍らにいる人」であり

ます。もちろん谷崎の「陰翳礼賛」もはいっておりますよ。