本をまくらに本の夢2

 経済学者の日高普さんの書評集である「本をまくらに本の夢」から山口昌男さんの
「挫折の昭和史」を評したものを紹介です。書き出しは、次のようになります。

 「 本書は昭和ひとけたの歴史を描いたものだが、近代日本の歴史人類学と称する
だけあってふつうの歴史書には夢にも考えられないような内容が詰まっている。
・・・・
 たくさんの人々のさまざまな挫折、これらの挫折が明滅する綾織のなかに歴史の
実相を見ようとする本書は、われられに考えなくてはならない多くの刺激を与えて
くれる。ところがこれが『補遺』を除いて本書のほぼ四分の三ぐらいのところで、
どうしたわけかにわかに叙述から光が消え全体が色褪せたものになっていく。
 本当にどうしてしまったのだろうか。・・・
 本書で描かれた多様な線はだんだん一点に収斂し、石原莞爾がまるまるの善玉と
して浮かびあがってくる。・・なあんだ石原礼賛の本だったのかという感じさえ
もちかねない。
 関東軍の謀略から始まって武力で成立した『満州国』に王道楽土などできるはずは
なかった。これがかりに石原の挫折だとしたら、かれが挫折をばねにしなかったことは
日華事変開始のときにあらわれている。この末尾が著者のために惜しい。あるいは
この本そのものが、著者の『挫折』なのであろうか。」95年5月毎日新聞書評です。

 この著作は、岩波書店からでていた「へるめす」という雑誌に連載されたものを
まとめたものであります。「へるめす」はのちに岩波社長となる「大塚信一」さんが
編集長をしていたものですが、大塚さんは、この著作について、次のように書いている
のでした。(「山口昌男の手紙」)
「95年に3月、7月と続けて刊行された大著『挫折の昭和史』と『敗者の精神史』は、
すべて『へるめす』に連載された論稿が基になっている。当然のことであるが、編集長と
して掲載された論稿を毎回くわしく読んだ。しかし、88年3月に最初に発表された
論考を読んだときから、わたしは違和感が心の中に生じてくるのをどうしても禁じ
得なかった。
 山口氏の壮大な意図はよくわかる。それが山口理論の一種の総括あるいは実証に
なるであろうこと、換言すれば、氏の理論を適用した新しい歴史人類学の試みである
ことも十分に理解しているつもりだった。
 しかし、そうした山口氏の意図を知れば知るほど断続的に連載される論稿の一つ一つに、
わたしはある種の物足りなさを感じないわけにはいかなかったのである。
テーマを国内の歴史に取った場合でも、これまでの山口氏の論稿にはいつも叙述と理論の
間の緊張感とそれに基づく迫力がみなぎっていた。だが、今回の連載の場合には、様々な
ことを初めて教えられる叙述の面白さはふんだんにあるが、その面白さに引きずられて
しまい、背後にある理論との往還と、それに由来する緊迫感に乏しいのではないかと
思われた。」

 大塚信一さんは、危険な思想家であった山口さんがメジャーとなって、とりまきが
たくさんあらわれて、かっての輝きを失ったと考えているようです。大塚さんが、
そのことを発表したのは、ことしになってからですから、むかうところ敵なしのかんが
あった山口さんの仕事ぶりを冷静に、その時代に評していたひとはどのくらいいたで
しょうか。
 そうした観点から、この日高普さんの「著者の挫折」という評は貴重なものであります。
 このへんの著作をきっかけに、山口さんは、東京外骨語大学学長(?)といわれて
明治のマイナーな文化の研究者や愛好家によるスクールの名誉総長となったのであります。
これが昔の、山口さんの先人への批評などを知る人々には、山口さんもまたそうした先人と
同じ道を歩んでいて、若いときの山口さんは、これを非難していたのにということに
なったのでした。