「書物との対話」2

 河合隼雄さんの「書物との対話」には、まんがについての文章が何本が収録されて
います。もともとは、このまんがにはなじみがなかったと河合さんは書いているのですが、
その世界への案内役は鶴見俊輔さんのようであります。
「 鶴見さんは天性のアジテーターである、と思った。鶴見さんはただただ、自分に
とって興味あることを話しておられた。ところが鶴見さんの心のなかの動きが知らぬ間に
私の心のなかの動きを誘発してしまうのである。別にまんがを読んでみませんかなどと
いわれてもいないのに、自分のほうから自発的に『まんがを読んで見ましょう』などと
いってしまうのである。
 しばらくすると鶴見さんの見計らいによるまんががおくられてきた。なれない私に
とっては、はじめは読破するのが容易ではなく、・・・メモでもつくりながら読もうかと
思うくらいであったが、読んでみて驚いてしまった。それは単に面白いということをこえて。
これまで、こんな世界を描いたのは、文学作品にもおそらくなかったのではないか、と言い
たいほどのものであった。」

 まんがとの出会いを、このように語る河合さんは、その後においては積極的にまんがに
ついての文章を書くようになるのでした。
「現在、青年の感性の世界を論じるにあたって、マンガという領域をさけて通ることは
不可能であると思われる。ここに『マンガ』という語を、石子順造にならって、いわゆる
『劇画』や『漫画』などを含む広義な意味をもつものとして使用しているが、現在の青年
たちがマンガを読む量は、膨大なものとなっているのである。」87年1月
 
 具体的な作者と作品としては、白土三平「赤目」、長谷川町子「いじわるばあさん」
水木しげるゲゲゲの鬼太郎」などがあがっていて、それらの人と作品について文章を書いて
います。こうしたなかに、今はまったく作品を発表していない「鴨川つばめ」の代表作
「マカロニほうれん莊」がとりあげられています。
「 最近ではマンガの表現も残酷さや性描写にずいぶんとすさまじいのがあって、マンガ通で
ないとついてゆけないとも言われる。筆者のようにあまりマンガを見慣れないものには、
確かに一見してとまどいを感じるが、そのマンガの持つ独特の世界に入り込んでゆくと、
相当な表現も気にならなくなるものである。
 ところで、この『マカロニほうれん莊』は、その発想の奇抜さで若者の間に人気を博して
いたと思うが、われわれ老人でも案外その世界に、すーっと入ってゆきやすいものである。
 いったいこれはどうしてだろうかと考えてみて、筆者はこれが漫才の手法によっている
こと(作者はおそらく意識していないと思うが)に気がついた。そう思うと、二人の主人公は
往年の漫才の名手エンタツアチャコになにやら似ているようである。」

 鴨川つばめの作品とエンタツアチャコの漫才が似ているといわれて、わかる人がどの
くらいいるのかと思いますが、一時期、あれほどの人気であった「鴨川つばめ」さんが
その後、泣かず飛ばずになってしまったのは、ギャグまんが作家の大変さを思わせることで
あります。昨年かに「失踪日記」を発表して突然、表舞台に復活した吾妻ひでおさんの例も
あることですから、生きている限り、かれの復活を期待することにいたしましょう。