「書物との対話」河合隼雄

 先日、ブックオフの105円棚で見つけてきた河合隼雄さんの「書物との対話」に
手作り版「ドリトル先生船の旅」という文章がありました。この「書物との対話」と
いう本は、あちこちにかいた文庫の解説や、著作集のしおりによせた文章などから
なっていて、たいへんよみやすい内容となっています。
 このドリトル先生についての文章は、週刊文春にのせたもので、「思い出の本」と
いうような特集があって、その求めに応じたもののようです。
 先日に河合さんが亡くなったときに、河合兄弟は丹波篠山の歯医者の家庭に育って
優秀な男兄弟がそろっていたとありましたが、このドリトル先生をめぐる話は、
昭和初期の地方都市の裕福で、優秀な家庭における本とのつきあい方をうかがわせて
くれます。
「 私が子どもだった頃の非常に大切な雑誌は『少年倶楽部』であった。ところで、
 私には兄がたくさんいるが、その兄たちが自分が読んでおもしろかった連載読物を、
 切り取って、表紙をつけたり、とじたりして書物にして残してくれていたのである。
 そのおかげで、私は山中峯太郎『太陽の凱歌』、高垣眸『怪傑黒頭巾』、佐々木邦
 『出世倶楽部』などを読むことができた。これらの本はわれわれ兄弟にとっての
 宝物のようなもので、そのなかの名科白は兄弟がすべて暗記していて、なにかに
 つけてそれを遊びや冗談の種に使って楽しんだものである。」
 
 いずれも優秀な人でありますから、こうした丁々発止とやりとりが成り立ったので
ありましょう。こういう家庭で落ちこぼれると、それはそれでつらいものであろうと
思ってしまいます。
 ここにあがっている「怪傑黒頭巾」などは河合さんのお兄さんたちが冊子にした
もので、そのおかげで読むことができたのですが、「ドリトル先生」については、
小学校の高学年になっていた隼雄少年が、みずから兄たちの手作り本にならって
少年倶楽部」の連載からつくったものなのだそうです。

 「私もそのような本を作りたいと願っていた。ところが、そのころ私の読む
 ようになった『少年倶楽部』にはなかなか傑作がないのである。ある程度は面白いに
 しろ、前記の作品のように血わき肉躍るとは言い難いのである。兄たちも『最近の
 少年倶楽部は質が低下した』というようなことを言っていたし、ともかく兄たちの
 言うことは『すべて正しい』と思っていたので、ますますその感を強くしていた。
 そんなときに、この『ドリトル先生・・』が連載されはじめたのである。
 この作品には連載の最初から惹きつけられてしまった。何しろ、これは、これまでの
 傑作とはまったく次元を異にしていると感じられるのである。なんともいえぬ質の
 高い香のようなものが感じられるのだ。・・・
  この作品全体にわたる上質なユーモアに心を惹かれるとともに、ファンタジー
 いうものの素晴らしさ、つぎつぎと展開されてくるプロットの面白さ、それらに
 少年の私は酔い、大喜びで本をつくることにした。」
  
 今は、岩波少年文庫で手軽によむことができる「ドリトル先生」シリーズの最初が、
講談社からでている「少年倶楽部」にあったということに驚きました。もちろん、
これは石井桃子さんが協力して、井伏鱒二の名前で発表されたものですが、雑誌の
初出が「船の旅」となっていたということも含めて、文学研究者によるものでは
なく、同時代の読者の発言として貴重なものであるように思います。 
 この文章の最後は次のようにしめられています。
「 子供たちとともに次々とその他の児童文学の作品を読んでいるうちに、それに
 魅せられて、児童文学に関する書物まで書くようになったg、その原動力に子どもの
 ころに読んだ一冊の本が存在しているように思う。」