「おかし男」

 長谷川四郎さんのことを、池内紀さんは「作家の生き方」集英社文庫
なかで、「おかし男」と定義しています。この「おかし男」というのは、
長谷川四郎さんの詩「おかし男の歌」かたとっているものです。
この文章は、「新日本文学」の終刊にあたって、同誌に寄稿したもので、
長谷川さんの新日本文学での位置と、池内さんが偏愛する作家であると
いうことを考えると、そうとうに気合いをいれてつくったものと思われ
ます。とはいっても、対象は「おかし男」でありますから、描くのに
肩に力がはいってはいけません。
「『シベリア物語』の作者は詩人だった。凍りついたガラスのような空に
ヒラリと舞い上がり、やがて白い一つの点となって消えていく『鶴』の
語り手は、むしろ詩人だった。
 満州で死地をくぐり、シベリアの極寒を生き抜いた。軟弱な詩人肌とは
まるっきりちがっていたが、『模範兵隊小説集』のいたるところに詩人が
いる。長谷川四郎のエッセイには詩や唄や翻訳や絵が入り込んだが、その
どれにも、いくぶんかずつ詩人がまじっていた。何がどんなふうにあわ
さっても、この人の場合、ピタリと収まっていて少しも違和感を与えな
かった。いろんなところで詩人性が消費されて、だから詩の形式をとった
詩はずっとあとから登場したのかもしれない。」