鉄筋コンクリートの書庫

 書画骨董を収蔵するのは蔵と相場がきまっておりましたが、昭和の時代になり
ますと「鉄筋コンクリート作りの専用書庫」というのが登場します。
昨日に話題にしたフランス文学者 鈴木信太郎さんは、この書庫のおかげで
貴重な資料を戦禍から守ることができると書いておりました。鈴木さんの蔵書は
きわめて貴重なものでありますからして、いまも価値は減じることなく、評価
されているのでしょう。 (個人で守っていくのは、どんどんたいへんになり
そうでありますが。)
 こうした「鉄筋コンクリート製書庫」の代表的な存在として有名であったのは、
向坂逸郎の「マルクス関係資料」でしょう。向坂さんが健在であった昔に、岩波の
「図書」に、これはマルクス主義の砦であると書いてあったのを記憶しています。
向坂コレクションは世界的なものであったはずですが、近年は往事ほど活用される
ことも少なくなっていると思われます。どちらにしても、日本に一つという資料が
多いのですから、資料としての価値は減じることはないのか。(ネットでみたら、
大原社研のコレクションになっているようでした。)
 小沢信男さんの「通り過ぎる人々」に登場する詩人「関根弘」さんは、小学校
4年生のときに「少年戦旗」に投稿したという筋金入りの主義者でありましたが、
89年のベルリンの壁崩壊、91年ソ連邦の消滅、それら一連のニュースを病床で
聞くことになって、関根さんは「ぼくの人生はいったい何だったんだろうと思う。
そう思いながらいま、収容所列島を読み直しているのですが、ほんとうに、ぼくの
人生は、なんだったんだろうと思いますよ」と語ったそうです。
 向坂さんは長命でありまして、1985年に88歳でなくなりました。ベルリンの
壁の崩壊を見ることなしに亡くなったのは、彼にとって幸せなことであったのかも
しれません。