まんがは文学を超えた?

 いいおとなが少年漫画雑誌を読んでなんて、いまから三十年まえには良く
いわれたことですが、最近は、まったくそんなこという人はいないでしょう。
 本日の朝日新聞の読書欄には「吉田秋生」の「蝉時雨のやむ頃」がコミック
ガイドでとりあげられています。筆者は南信長というひとですが、小生はこの
ジャンルにまったく暗いので、筆者がどのようなひとであるのかは知りません。
「 文学界新人賞を受賞した鷺沢萌のデビュー作『川べりの路』が吉田秋生
『河よりも長くゆるやかに』との類似を指摘されて20年。吉田と同じ頃に
漫画家としてデビューした山田双葉(詠美)がいまや芥川賞選考委員を
務める時代である。『まんがが文学を超えた』なんてフレーズに意味はない。
それでも、吉田秋生の最新作は、やはり『文学を超えた』といいたくなる
繊細かつ清冽な物語だった。」
 数年前に高野文子がかいた「黄色い本」という作品が話題になりましたが、
むかしであればきっと小説でかかれたようなものが、漫画となって、それが
ずいぶんと読者をつかみました。黄色い本というのは、「チボー家の人々」の
単行本でありましたが、あの白水社からでたほんのことを黄色い本という作品に
した着眼点に脱帽するのでした。最近はチボー家も読まれていないのだろうと
思いますが、最近読む人の半数は、これを読むきっかけになったのが、
高野文子のコミックではないでしょうか。
 そういえば、今年の手塚賞かを「神聖喜劇」が受賞しました。大西巨人
原作は、ほんとに読みにくくて、あまりの話が展開しないことに、長編小説が
好きな小生も途中で読み進めることができなくなってしまいました。
コミックかされたこれを読んでから、再挑戦ということになるでしょうか。
 ほんとに最近映画となった作品でも、原作はコミックというのがずいぶんと
多いことです。文学作品よりも、コミックのほうが多いのは、コミックが
映像かしやすいからなんてことだけではないですよね。原作となるにたる
作品が、小説など文字作品よりもコミックのほうに多くあるということで
しょう。
 吉田秋生というひとの作品では、「櫻の園」というのを文庫で読んだことが
ありました。これは中原俊によって映画化されて、当時、中原俊をひいきに
していたのでみたのでした。 
赤塚不二夫のことを書いたのだ」 武居俊樹 文春文庫をみましたら、
武居編集者の紹介に、「吉田秋生」を担当したとありました。赤塚との
つきあいは壮絶のひところですが、吉田さんとの仕事はどのようなもので
あったのでしょうか。