赤塚番の武居編集者

 そのむかしに見たコミック誌「COM」の「トキワ莊物語」には、手塚治虫
原稿をとりにきた編集者が、何人も部屋で待ち続けるというシーンがありました。
編集者は、皆がそれぞれの会社においては、エース格であるのでしょうし、原稿を
もどらずには会社にもどれないのも一緒でしょう。とは、いうものの延々とまた
されると、すっかり顔見知りになって、いつの間にか手塚世界の住人のような
雰囲気となるのでした。
 これがギャグ王国でありましたら、王様がアル中というせいもあって、もっと
もっと密な関わりが求められるのでありました。純文学の編集者と作者の関係に
おいては、そこまでどろどろの関係ではないでしょう。赤塚のギャグ漫画には
編集者が実名で登場したりすることがありました。少年雑誌ですから、これは
相当に大胆な試みでありました。
 「赤塚不二夫のことを書いたのだ」文春文庫の解説には次のようにあります。
「 アルコール依存症ではあったが、まだ意識のはっきりしていた天才が、
『武居が偉くなれなかったのは俺のせいだ・・・』と誰ともなく漏らした
ことがあるそうだ。それは赤塚の最大の貢献者に対する気遣いから出た言葉だ
ろうが、違うと思う。れっきとした赤塚番ながら大手出版社の大専務になった
五十嵐某の例をもちだすまでもなく、赤塚番であったことと武居の社内の立場は
関係ない。
 武居は才能があると見込んだ作家は誰がなんといおうとトコトコ大事にすr。
その逆もまた然り。この諏訪的依怙贔屓を玉石混交、大勢を束ねる編集長や
部長になったときも、武居はかえることはできなかった。それが管理職武居の
致命的欠陥であったとぼくは思う。偉くなれなかった武居も偉くしなかった
会社も正しい。」
 コミックの世界のほうが、ずっとマーケットの規模がおおきいからして、
ビジネスとしてもけたが違うようです。なんとなく、これとくらべると文学
編集者は常識人にみえるから不思議であります。