赤塚不二夫のことを書いたのだ

 文春文庫の今月新刊で武居俊樹赤塚不二夫のことを書いたのだ」が
でました。小生はコミックはあまり読まないのでありますが、ストリー
ものよりもギャグ漫画が好みで、手塚治虫よりも赤塚不二夫がよろしです。
(たぶん、一番好きな漫画家はいしいひさいちでありますが、これは
同世代で、ともだちの友達はともだちだという気分によるものであります。)
 赤塚不二夫のものはいろいろとありますが、小生にとっては、やはり
「おそまつくん」でありますでしょうか。とくには、これにでてきた
「いやみ」というキャラクターにはまいりました。中学校1年のときの
冬に、学校のグランドで雪像つくりをしたのですが、そのときにクラスで
取り組んだのが「いやみ」の「シェー」をしている像でした。たしか顔の
部分だけは、ベニヤかなにかに顔を写したと思います。いまから45年も
むかしのことでして(たぶん、昭和37年くらい)、まだそんなに「いやみ」は
有名なきゃらではなかったのです。
 赤塚不二夫のブレーンには、そのあとで一本立ちした作家たちがいるの
ですが、こどもたちには、おもしろければいいというかんじでした。
 大学にはいってCOMなどを見るようになって、「ときわ莊」のことを知ると
ともに、「長谷邦夫」さんのパロディ漫画を楽しむようになりました。
とくに「ねじ式」は傑作で、これを見て、「つげ義春」の作品が理解できた
なんていうひともいたのでした。( 最近は、ブログなどでも長谷さんの
名前をみたりして、フジオプロで一番の良識派という感じでありましたものね。)
 もちろん、赤塚不二夫という天才としかいいようのない人がいるから、この
ような多彩な人材も集まることになったのだと思いますが、天才がほとんど
意識のない入院生活となっているというのがつらいことであります。