偏愛文学館2 倉橋由美子

 昨日に引き続いて倉橋さんの「偏愛文学館」についてです。倉橋さんがこの
ように読み上手、すすめ上手であるとは知りませんでした。もともとあまり
なじんでいない人でありますから、倉橋さんの愛読者には、良く知られている
ところであったのかも知れません。
 この著作でとりあげる「偏愛」の基準については、以下のように書いてあり
ます。
「 私の言う偏愛の条件にはいろいろありますが、形式的なことをあげてみると、
 それはまず再読できるということです。二度目に読むときに、いい人、好きな人と
 再会するのに似た懐かしさがあって、相手の魅力も一段と増したように思われる。
 そういうものが偏愛できる作品です。」 

 小生としては、昨日の吉田健一さんのところで記したに「変な小説」で再読できる
ものという定義のほうが好きですが、このようなへんてこりんな作品のみが好きな
わけではないようです。
 この著書でとりあげられているものには、宮部みゆき火車」、杉浦日向子
「百物語」、上田秋成雨月物語」、ジュリアングラック「シルトの岸辺」、
オースティン「高慢と偏見」などがあがっています。幻想から推理ものから、
魔の山」、「楡家の人々」といった長編小説まで、実にバラエティにとんでいます。

 もうすこし若ければ、このリストにあがっているものをすこしずつ手にして読んで
みたいと思うのでした。こうしてあがっているもので、一番、小生から遠いところに
あると思われたのは、岡本綺堂「半七捕物帳」でした。
「半七捕物帳」については、このように書いているのです。
「 岡本綺堂の半七捕物帳は大正から昭和を経て平成の今でも読み続けられている
ロングセラーです。これはどこからでも読めますし、何年か経てば再読できます。
シャーロック・ホームズものをそうやって何度でも読めるかどうか疑問ですが、
こちらは年を経て読むたびに滋味が増すように思われます。謎解きの興味だけで
読ませる推理小説とは違って、半七捕物帳は小説としての質が格段に高いのです。」

 シャーロキアンの反発必至でありますが、このように問答無用となっている
ところが、偏愛的でよろしいことです。もともと、たで食う虫も好きずきという
ことばがあるように、好きになるに理屈はいらないのでありました。