本の雑誌 10月号

 先日、留守にしているときに「本の雑誌」10月号が配達されていました。お代は
あとでけっこうというのがありがたしですが、先月もそういえばお代を払っていない
ということに気付き、本日はすこし離れた本屋さんに代金を届けてきました。
町の本屋さんは、酒屋さんと似ていて、注文品は届けてくれ、つけがきくのでありま
す。いったついでに岩波文庫の注文をだしてきました。メールでも注文を受けてくれ
るのでありますが、本日は書名をメモ書きしておいてきました。
 さて、それで今月の「本の雑誌」であります。特集は「日記は読み物である。」と
いうもので、総勢29名が「私の偏愛日記」を各3冊あげています。当方が持っている
ものがあがったりしているのですが、当方が「偏愛」というところまでいかなかった
りすることから、ちょっと微妙な距離感であります。
 そのなかで、こういう目のつけかたがあったかと思ったのは、正木香子さんのあげ
るものでした。( 正木さんがこのような目のつける人であるというのを、当方は
知りませんでした。)
「GHQによる日本語のローマ字化計画という史実を基に、すべて旧漢字・旧仮名遣
いで綴られた日記形式の物語。・・・ちなみに単行本の本文書体『モトヤ明朝』は、
記録資料の文献によく似合う。日記という体裁と小説の虚構を見事に媒介している。」
 これは井上ひさしさんの小説「東京セブンローズ」に添えられた文章であります。
「偏愛日記」でありますが、小説の主人公が書き残した日記というのもありであるか
ですし、元版が「モトヤ明朝」で印刷されていて、それが記録資料の仕立てという
小説の枠組みに似合うというのが意表をつきました。
 井上ひさしさんの小説、「東京セブンローズ」が発表になった頃には、単行本では
なく文庫化されてから手にして読んだようにも思いますので、これを見ますと元版で
読んでみなくちゃと思います。(文庫がどのような印刷であったのか、すっかり忘れ
ていることです。)
 誰もあげていなくて、思いだしたものに歌人 吉野秀雄さんの日記がありました。
当方の手元にあるのではなく、親戚のお兄さんが吉野秀雄全集がほしいが手がでない
ので端本でもあればといわれて、学生の頃に古本屋で購入し、しばらく手元にあった
ものでしょう。全集の一冊とすこしを日記にあてていますので、相当な量となるはず
です。(いまは確認のしようがありません。)

吉野秀雄全集〈第6巻〉日記 (1970年)

吉野秀雄全集〈第6巻〉日記 (1970年)

なんとなく二段組みか三段組みと思うのですが、文字はすくなくて、一日に何を食し
たかが、克明にかかれていたような記憶がありです。発表されることをほとんど
意識していないと思われる日記でして、生活をのぞくようなところがありました。
当方は二十歳くらいのことでありますので、そんなものばかり喜んでいてどうすると
思ったものです。