田村義也装丁(長見義三さんの本)

 長見義三さんという北海道在住の小説家がいました。
ほとんど無名でありますが、この作家の作品を田村義也さんが装丁をして
いるのでありました。これはどうしてなのかと思っておりましたが、今回の
「ゆの字ものがたり」で、田村さんが担当した背景が理解できました。
 長見さんは、やはり田村さんが装丁を担当した作家八木義徳さんの早稲田
大学での文学志望のお仲間で、しかも同じ北海道出身であります。
 田村さんは北海道に対して近しいものを感じていると次のように書いています。
「私のとって北海道とのつきあいは、長い歳月をかけて久保栄研究という雑誌を
編集してきたことから始まるといってよいが、私の息子の一人が、現在北海道で
高校ー大学ー就職という道を歩んでいるためか、まったく余所の土地とは思えない。
ある親しい思いもあるのである。」
 長見さんの作品は、ながらく一般には入手することができなかったのですが、
これが恒文社からでるようになったことを、担当編集者の川平さんがかいて
いました。
長見義三は、早大仏文科で八木義徳と同期の作家であるが、戦後長く中央文壇から
離れていた。それがたまたま昭和17年にでたアイヌの学校が古書店の目録で恒文社
会長の目にとまり、50年ぶりに復刊することになり、私が担当することになった。
田村さんはすでに八木さんの本を何冊もてがけておられるので、八木さんの親友で
ある長見の本も、やはり装丁は田村さんしかいないと思い、お願いに伺った。」
 この恒文社の会長というのは、工藤美代子さんの父親である池田恒雄さんであるので
しょうか。けっして営業的に成り立つとも思えない企画に踏み切るところが、いかにも
ワンマン会社です。
 この「アイヌの学校」は差別を助長する内容であるとクレームがついて絶版、回収、
断裁という措置においこまれたのでありますが、これが最近の出版であればどうなっ
たのでありましょう。
 小生の友人には中学校時代に長見さんの息子さんの同級生というのがいて、その友人
から長見の父は小説を書いている人であるとは聞いたことがありました。
当時、長見さんは北海道千歳市野呂邦暢自衛官として勤務していた町)にあった
駐留米軍の通訳として働いていたはずです。
そのときも、そのあとも長見さんの作品を読むこともなくきていますが、田村さんに
導かれて、手にして読んでみなくてはいけませんです。