田村義也 ゆの字ものがたり

 このブログ記念すべき一回目のタイトルは、「田村義也の本」と
いうものでした。そのときには、版元であります新宿書房
「ゆの字ものがたり」の紹介ページにリンクをはっておいたので
ありますが、ちょうど、2ヶ月してこの「ゆの字ものがたり」を
入手することができました。
 これで、「のの字ものがたり」朝日新聞社
田村義也 編集現場115人の回想」刊行会 とあわせて
三冊がそろいました。この三冊を手元において、なにか気のきいた
ことをかけないかと思いますが、これはいつになってもできそうも
ないので、とりあえず、ぱらぱらとページをのぞいて、目に付いた
ことを話題にしましょう。
 ほとんど田村義也さんという人は、装丁家として知られているの
ですが、ご自分の認識は、下記のごとくです。

「 私は編集者だと思っているし、装丁の仕事は、編集の帰結であり、
 まとめだと思っている。本の内容を一番よく知っているのは、
 第一番目の読者である編集者であるし、その編集者が、組み方や
 原価計算や・・・・・・それぞれ意外に広い関連部門にかかわって
 いき、それを綜合して、内容にふさわしい衣装を着せ、世の中に  
 送り出していくわけである。」
 
 仮に装丁しか担当していないとしても、田村さんはこのような考えで
仕事に臨んでいたとすれば、よほどの覚悟がなくては、装丁を依頼する
こともできませんです。
 「理想の装幀」という特集をした「暮しの創造」という季刊誌があった
とのことです。そのなかには「非装丁家の本」というページもあって、
ここでとりあげられているのは、田村さんのほか、仏文渡辺一夫
建築白井せいいち、青山二郎だそうです。
 青山二郎さんは、最新の「銀花」が装丁本の特集をしています。
 哲人建築家白井せいいちさんは、パリ在住の時に、作家 林ふみこと
親しいおつき合いをしていたのではと思われるひとで、装丁で一番
有名なのは中公文庫です。
 渡辺一夫さんは、大江健三郎の師匠でありますが、六隅許六と
いう名前で何冊かやっていました。途中から故人になったとしてやって
いたりして、なかなかのいたずらでした。(ミクロコスモスの変名で
あったとか。)
渡辺さんには、戯画集成(?) 一枚の絵刊行 という本があるので
すが、これは最近ではそうとうに珍しいものではないでしょうか。
そのなかには、六隅=渡辺さんが担当した装丁本の書影があったと
思います。(このほんは、家のどこにあったろうか。)

 大江健三郎さんの名前がでてきたところで、本日駄文はおわりを
むかえるのですが、大江さんの長男の音楽の先生は、田村久美子さんと
いって義也夫人です。義也さんは、「ヒロシマ ノート」の編集者で
ありまして、夫婦ともに、大江さんとはたいへん関わりが深いので
ありました。