退屈の勉強

 英語の教科書というと文法とリーダーというのがありました。
グラマーというのは、なんともやっかいな記憶しかありませんが、
リーダーで眼にした文章は、なんとも退屈でありました。こちらは
英語がよく理解できていないのでありますからして、これを楽しむ
なんてことにはとうていなりません。
副読本で、教師が好みの渋い文章などを読まされると苦痛以外の
なにものでもなかったのですが、こうして手にした読本でおぼえた
英国文学者の名前は、すりこみのように頭にこびりついたのです。
 そうして知った文学者にはウィリアム・モリスがいました。
たしか「民衆の芸術」を読まされたのですが、これはすこし
トラウマとなっていて、モリスとの出会いは不幸でありました。
その教師は、そのあとにエリック・ギルの文章を取り上げたのですが、
このエリックさんは「衣装論」かなにかを読まされました。
ずっと後年になって、「芸術新潮」でこのギルさんのスキャンダラスな
話題を知った小生は、我が眼を疑ったのであります。
 英国の小説というのは、よっぽど小説の読み巧者でなくては、
楽しむことはできません。ほとんど大きな事件もなしに、たんたんと
時間が経過したりするのですから。(最近は、さすがにそうでは
ないようですが。)
「退屈をおしえよう」というエッセイがあったように思いますが、
英国小説を楽しめるようになりましたら、人間として成熟したと
いえるのかもしれません。
 岩波文庫80年記念の一冊として「サミングアップ」モーム
はいりました。この作品の文章は、そのむかしのリーダーにとりあげ
られていましたが、文章の長さが手頃であったかもしれませんが、
青臭い高校生が読むものではないということを、あらためて翻訳で
確認をするのでありました。