正しい本 (スガレ追い)

 先日に紙箱を作っている作業所の方とお話をする機会が
ありました。和菓子やさんにとって、紙箱というのは必要
不可欠な物であるのですが、この紙箱というのは、ほとんど
手作りとなることから手間がかかり、需要が伸びないせいも
あって非常にやっかいな存在になっているとのことでした。
 むかしは、洋生菓子というとクリスマスケーキくらいしか
口にはいらなかったのですが、最近は、洋菓子なんて言葉も
死語となるくらい、お菓子と聞いてだんごとかもちなどの
ことを思い浮かべる人はいなくなっています。
 小生の子供のころ、お葬式の引き物は葬式饅頭(こちらでは
中華饅頭といっています。)ときまっていて、それは紙箱に
はいっているのでした。あのなんともいえない色合い(うぐいすの
濃い色)の箱をみると、今でも中華饅頭を思い出すのでした。
 日本の出版文化から旧字ものがなくなって、これを印刷する
には、台湾、韓国にもっていかなくてはいけないといわれた
のはいつころであったでしょう。昔の植民地教育のせいで、
新字を知らない世代が、かっての植民地にいることをいいことに
国内では、コスト的におりあわない印刷がでていったのでした。
 本の印刷は、海外にもっていくことができましたが、そうは
いかなかったのが本の箱でした。昔の本は、箱入りというのが
あたりまえでありましたが、あるときから、よほど高級なもの
しか箱にはいることはなくなりました。
 白水社からでています吉田秀和全集は、断続的に刊行されて
いますが、現在でている3期ぶんからは、とうとう箱がなくなって
しまいました。これは箱だけで百円単位で値段を押し上げる
という事情があってのことでしょう。
 文字通りの本好きにとっては、いまから30年くらい前までが
一番良い時代ではなかったでしょうか。本日に到着した井伏鱒二
「スガレ追い」という作品集は、昭和52年3月刊行のもの
ですが、活字で旧字で箱入りという、小生にとっては正しい本の
見本のようなものです。