巷児とペダル

 本日の朝日新聞朝刊には鶴見俊輔さんとアーサー・ビナードさんの
対談がのっておりました。
 鶴見さんは、小生が長年にわたってかってに近しく感じている思想家で
ありまして、この読書ブログにも、すでに数回登場しているはずです。
ビナードさんは、語学の天才でありまして、いくつもの語学のなかから
日本語を第2の母語にしたのではないかと思える詩人で文章家です。
 ビナードさんのことを初めて知ったのは、いまから15年も前では
なかったかと思います。まだ日本に来てそんなにたっていない時に、
作家 長谷川四郎さんの奥さんがお知り合いになって、最近とても
ユニークな青年とお友達になったと、長谷川夫人からお手紙をいた
だいたことがありました。
 その青年が、絵手紙をつづけている智恵さんという少女の絵手紙集を
刊行する時に、智恵さんの詩を英語訳したのがビナードさんでありました。
智恵さんの絵手紙集は、長谷川夫人からおくっていただいたのですが、
そのときに長谷川さんとビナードさんが一緒にうつっている写真が同封され
ていました。
 まさか、後年になってこの青年が、中原中也賞を受けるとは思っても
みませんでした。
 
 鶴見さんとビナードさんを結びつけるのが、この対談にあります小沢
信男さんです。
 ビナードさんは、この対談で「ぼくにとって日本語の散文の師の一人が
作家の小沢信男さんです。小沢さんは、町のみつめ方、題材との距離の
取り方がすばらしい。」といっています。
 これを受けて鶴見さんは、「それは俳諧の手法ですな。彼は俳句もうま
いし、当代随一の書き手です。花田清輝がかれを最初に認めたんだ。」
と答えます。
 このようにいわれているのに小沢信男さんの知名度が、今ひとつである
のは、誠に残念なことです。
 鶴見さんは、小沢さんを最初に認めたのは花田清輝であるといっていま
すが、鶴見さんは、花田さんよりも早くに、まだ中学生くらいであった
小沢さんが新聞に投書した文章に注目して、この投書を大学での授業で
紹介をしていたとのことです。
 小沢さんは、思想の科学新日本文学を活動の舞台にしていましたが、
鶴見さんにとっての小沢さんは、この古い投書で印象に残っているようです。
 その昔に小沢さんの作品集「若きマチュの悩み」が刊行されたときに、
この作品を朝日新聞の書評で取り上げたのは、鶴見俊輔さんでありました。
小沢さんは、いろいろな立場の人たちが交錯する新日本文学の編集者として
長年にわたり活躍し、事務局長としても腕をふるっていました。
運動体というのを、最大公約数のところでまとめていくのは大変な能力を
必要とするように思いますが、対象との絶妙な距離のとりかたは、生来の
ものでしょうが、この時に、この能力に磨きがかかったのでしょう。
 花田派でも、中野重治派でも、長谷川四郎派でもなかったことが、
小沢さんの魅力であり、それがビナードさんをして散文の師といわし
めているのでしょう。
 小沢さんは、先月まで雑誌「みすず」に「通りすぎた人々」という
連載を2年間やっていました。これは、この春には一冊になるのでは
ないかといわれていますが、小沢さんの文章の魅力は、この連載で
堪能できます。これが単行本になることを鶴首して待ちましょう。
 本日の、タイトルにした巷児とペダルというのは、余白句会という
知る人ぞ知る句会での、小沢さん(巷児)とビナードさん(ペダル)の
俳号でありました。
 歩く人小沢さんと自転車でいくビナードさんというコンビは、
とてもユニークな師弟関係であるのでした。