美しい国かな

 仕事場を早くにでたので、かえりは本屋によってきました。
本日、まっさきに手にしたのは安岡章太郎の新作でありますが、
「カーライルの・・」というものでした。2500円というの
は、発行部数のせいでありましょうが、ちょっと手がでない。
装幀は、安岡の盟友 田村義也の雰囲気を残した祖父江慎
手によるものです。
 買おうと思ってみていたのは、文春新書にはいった「狐」
こと山村修さんの新刊ですが、これが見つかりません。
どうも、この本やと文春新書は相性がよろしくなくて、この
本屋で目指す文春新書を入手できたためしがない。ほかの
文春新書の新刊は、みなあるのに。

 結局、購入したのは、「占領下パリの思想家たち」(平凡社
新書)と「啓蒙の弁証法」(岩波文庫)の2冊です。
どちらも時代はかぶりまして、30年代から40年代にかけての
ものです。後者は、フランクフルト学派のものですが、
ホルクハイマーとアドルノについてのものが、すこしでも
読めたらめっけものです。

 「啓蒙の弁証法」の序文に、次のようにあって、これがいまに
通じるところありです。
「 何故に人類は、真に人間的な状態に踏み入っていく代わりに、
 一種の野蛮状態に落ち込んでいくのか、という認識であった。」

 本日のテレビニュースに登場した国会演説する首相は、
おおまじめで「美しい国」なんて大時代なことを本気らしく
いっていました。そのむかし「川端康成」がノーベル賞の受賞
講演でいうのならともかく、美しい国なんてことを力入れて
演説する人のメンタリティが理解できないことです。

 この文庫にある「反ユダヤ主義の諸要素」という文章には、
つぎのようにありました。
ファシストたちにとっては、ユダヤ人はマイノリティでは
なくて敵性人種であり、否定的原理そのものである。彼らを
根絶やしにすることに世界の幸福がかかっているというのだ。」

 美しさを追求するとき、美しくないものはどうするのであり
ましょう。この国の首相に、この点を聞いてみたいものです。