ある賢姉愚弟のこと

 自宅に配達される「いきいき」2月号を見ていたら、鶴見和子
取り上げていました。はじめのところで鶴見俊輔が姉をかたると
いうのがあって、そのあと高野悦子、藤原良雄(藤原書店)などが
和子を語っています。
鶴見和子の著作には、ほとんどなじみがないのですが、これには
和子の文章も引かれています。

「 おなじ母のもとで育てられながら、俊輔は死ぬ思いを何度か
経験し、人間の罪と暗黒とをくぐりぬけてきた、生まれ変わった人
なのである。
これに対して、わたしは、死も暗黒もくぐりぬけることのなかった
生まれたままのひとである。
そのことが、俊輔の仕事をより深く、寛く、そして筋の通ったものに
しているのだと思う。
人が俊輔をわたしの兄と呼ぶのも、そうした理由からであろう。
そういうきょうだいをもったことは、わたしの生涯の仕合せである。」


「いきいき」というほとんど女性しかターゲットにしていない雑誌で
ありますが、各号にひとつは読めるものがありまして、じつによく
できているものです。日野原さんが、いまのようにブレークしたのも
「いきいき」のせいでありまして、この雑誌の影響力はほんと無視で
きないものであります。(昨日のTV東京の番組で特集をしていまし
た。)

 めったにおいていない「詩の森文庫」(思潮社)というのがあり
ますが、これの新刊に「詩と自由」鶴見俊輔があります。
鶴見さんは、昨年に、これまでに書き溜めていた詩をまとめて
一冊にしていますが、これはあちこちにある詩人や詩についての
ものを一冊にしたものです。
これは新しく編集(あとがきに「この本のもとは斉藤慎爾氏の設計に
よる。」とあります。)されたものと思いますが、一番先におかれる
文章は、「詩について」というものです。
「 このごろになって自殺しようと思うことがなくなった。そういう
時に、進藤陽子さんが自殺したという知らせを聞いて、以前の感情が
一時にかえってきた。」 1966年2月
上の文章を書いたときに、鶴見俊輔さんは44歳でありますからして、
ずいぶんと大変なことであったと思うのでした。
 名門に生まれるというのは、とんでもなくいきにくいことであり
ます。