思わず検索しそうになることで

 WEBみすずで今月より松本俊彦さんの連載が始まったとありまして、早速に

見てみることにです。松本俊彦さんのことを知ったのは、月刊「みすず」に連載

されていたエッセイを読んだことによってですが、今回のはその続編でタイトルは

誰がために医師はいる・続1 となっていました。

 今回のタイトルは「夜のフェラーリ、不思議な往診」というものです。いかにも

わけありそうなものでして、フェラーリとはあのフェラーリであるのかと、興味を

持って読むことにです。

 薬物依存治療を専門とする精神科医の松本さんが、大御所の老精神科医から

の依頼を受けて、著名人の薬物異存のカウンセリングを行う話でありますが、相手

が相手なものですから、極秘で自宅に訪問することになりです。

 この自宅訪問には、駅から迎えの車にのって、しかも途中で著名人の妻が運転

の車に乗り換え、さらに迂回しながら自宅にむかうという念の入れ方で、まるで

スパイ小説のごとくです。

 それもこれも、著名人にいろいろな噂がたっていて、それこそ暴露系の写真雑誌

などから狙われていたからでありましょう。

 彼に限らず薬物依存関係の著名人に松本さんは、医師として関わりがあった

ようで、裁判の情状証人として法廷にもたったことがあるといいます。

著名人が薬物使用などで逮捕された時の騒ぎのことを、松本さんは、ここで次の

ように書いています。

「社会はその著名人を生け贄にして、一連の逮捕劇をエンターテインメントとして

消費するのだ。そして、その裏で捜査機関は巧妙に自らのプレゼンスを誇示し、

メディアはメディアで、えげつなく視聴率や雑誌売り上げ部数を稼いでいる。

 実際、著名人が逮捕されるたびに、世の中はお祭り騒ぎとなる。以前、一度だけ

私は、ある著名人の情状証人として法廷に立ったことがある。その際、傍聴席の

すさまじい混雑もさることながら、何より驚いたのは、著名人の発言を逐一報道す

べく、公判中、何人もの記者がめまぐるしく法廷を出入りしていたことだ。

裁判終了後は、詰めかけた報道陣に通常の出入り口が塞がれ、やむなく裁判所

職員の案内で、秘密の地下通路を使って脱出しなければならなかった。」

 当方は、こうしたことを話題にする番組を見ることはないのでありますが、どう

して、このような番組が受け入れられるのかと思うことです。(そういえば、「日本

蒙昧前史」でも、こうした取材が話題となっていました。)

 気になるフェラーリは、松本さんの文章の最後のところで12気筒のエンジン音を

響かせるのですが、さてはて、この著名人のことが気になることです。

 検索するまでもないかなです。  

我慢はしないことに

 その昔は我慢、ガマンでありましたですが、ここのところ同年代の人の訃報を

受けることがあって、彼らの無念を思ったりするとき、あまりガマンをするのは、

いかがなものかと思うことです。

 とはいっても、当方の身の丈にあったプチ贅沢でありまして、どちらにしても

必要なもので買い換えたりするのであれば、ちょっと前倒しで買ってしまおうか

というくらいの話です。

 ということで先月に購入したのが、4K放送を受信できるTVでありました。

これまでのTVは、2010年頃にアナログ放送が終了するということで、助成金

もらえると買ったものでありました。あの頃は、日本製の液晶パネルは絶好調で

ありまして、TVには亀山モデルというステッカーが貼られていました。

 今年になるまで、そのステッカーは剥がさずについていたのですが、まさか

それからまもなくその会社がたち行かなくなるとは思ってもみなかったことです。

 昨年12月にNHKBSのチャンネルが整理されて、これまでのBS1、BSPに

くわえてBS4Kが、BSとBS4Kのニ波となって、当方は、その意味するところが

わかっていなかったのですが、この4月からは当方が好んで見ている番組は

BS4Kで、まず放送して、それから一週遅れでBSで放送するという編成方針が

はっきりとしてきました。

 カバーズとか、こころ旅という番組がそうでありまして、これはさからっても

どうにもなりません。これまでのTVは見られるのでありますが、4K対応では

ありませんでしたので、思い切って更新することにしたわけです。

 おかげで新聞のテレビ欄をみても、身悶えすることもなくなりましたので、

精神衛生にはよいことであったかもしれません。

最近のTVの平均的な耐用年数はどのくらいかと思いますが、15年くらいは

大丈夫としましたら、その時には、当方の年齢は80代後半となっていること

て、それまでは元気でTVを見続けなくてはいけませんですね。

 ガマンしないで、本をどんどん買うとか、新しい車も買っちゃうよなんて、

話には逆立ちしてもなりませんので、このくらいでよろしいのか。

 おかげで、先日はアイナ・ジ・エンドさんが初めて登場したカバーズの

記念すべき生放送を、リアルタイムで視聴することができ、明日から始まる

火野正平さんのこころ旅も、BSに先んじて楽しむことになりです。

 ガマンしないといえば、推しのライブ参戦でありますが、あと数日後にある

ライブは申し込むこともできずでありまして、これは残念でした。次回はガマン

しないことにしましょう。(こちらはego-rappinであります。)


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黄色い車と「月と不死」

 当方の車は2017年が最初の登録で、それから7年となり、今月が車検であり

ます。最近の車はコンピュータのようなもので制御していることもあって、ずっと

点検、車検はディーラーにお願いをしております。

 何ヶ月か前に電話がありまして、今年の車検はいつ実施しましょうかとの話で、

その時に代車は必要ですが、代車が軽自動車でもよろしいですかと聞かれました。

当方は4月上旬に、代車は軽自動車でもけっこうですよと答えて、本日に車検の

ために車をディーラーに持って行き、代車を借りて戻ってくることにです。

 この代車が、普段の当方の生活スタイルからすれば思っても見ない黄色の車で

ありまして、気分が変わってよろしいことです。(とはいっても、軽自動車の運転は

慣れていないので、駐車するためにバックするときなど、とまどってしまうことです。)

 高齢者になりましたら、すこし派手な色の車がよろしいのかもしれません。7年前

に今の車にした時には、無難な色にしてしまいました。当方と同じ車種の赤い車に

枯葉マークをつけて運転している方がいらして、なんとなく格好よく見えることです。

代車の黄色い軽自動車 初めて運転する黄色の車

 夜にTVで坂本龍一さんの番組があることは知っておりましたが、ちょっとこれは

見るのが辛いなと思ってスルーしようと思っていました。

家人がたまたまテレビを見ていいて、その番組にチャンネルをあわせてしまった時

に、坂本龍一が最後の日々に読んでいた本というのが映し出されました。

本の整理などもされていたりで、おじいさんの本とかいって、本をてにしていたの

ですが、そんな坂本さんの蔵書のことが気になってしまって、結局、番組の終わり

まで見てしまうことになりました。

 坂本さんの書かれたものを読んだら、この本についても何か書き残しているの

かもしれませんが、当方が見て目がとまったのは、平凡社東洋文庫の「月と不死」

でありました。

 坂本さんは、どうして「月と不死」であったのでしょう。そういえば、晩年の著作に

は「あと何回満月を見るだろう」というのがありましたが、これなどは、「月と不死」

に関わりがあるのかな。

 これはちょっと坂本さんの本を見てみなくてはです。

 

 

 

本日の読書欄に

 土曜日の朝は目が覚めましたら、起き出して新聞を取りに行くことになりです。

お楽しみは読書欄でありまして、最近はあまりヒットしないのでありますが、それ

でも本についての話題を、新聞でめにできるだけよろしです。

 本日に目についた書評は、すこし大きなスペースを与えられているもので、

中公文庫「戦争と平和 田中美知太郎 政治・哲学論集」であります。

 評者は、御厨貴さんで、すこし引用。

「私も最後のニ論文は同時代に読んだ記憶がある。当時右派論壇人の一人と目さ

れた田中の論文は、他の単純なる右翼的論者とは異なり、あくまでも考え抜いた

思慮深さに満ちていた。『保守と革新』なる小論は、今なおその射程距離の長さに

うなるものがある。だが、同時に、あつかわれる事例がジャーナリスティックで通俗的

であり、誤解を生じかねない箇所がみられる。それを猪木はみごとに『ただ田中の

賢慮に満ちた平明な文章は、ある種の『外見上の単純さ』をもつと指摘している。」

 購読している新聞で「田中美知太郎」さんのことが、このように取り上げられる

のを見るだけでも、時代は変わったと思うことです。この新聞では最近は不定

佐伯啓思さんの文章が掲載されますが、佐伯さんは京都の学者さんで、その

スタイルは田中美知太郎さんからつながるところがあるように思います。

 当方も、いまから三十年ほど前でありましたら、佐伯さんのものなどを読まずに

ほっておいたでしょう。やはり1989年以降の世界の変化、そして中国やロシアの

有り様や日本の一強政治などという理解しにくい状況に、ちょっと違った角度か

らの見方が欲しくなったのでありましょう。

 そうした時に浮かび上がってくるのが、かってまったく論外でありました右派の

論客ということになるようです。先日もだれかが(それも御厨さんであったのかな)

高坂正堯さんのかって発言が、現代の状況を見事に見通しているなんてことを

書いていて、勝ち負けではありませんが、現実主義者といわれた論者たちのしぶ

とさを痛感することです。

 この時代は、理想を語ったりしますと、お花畑と揶揄されたりしますが、それで

もオキュパイドジャパン生まれの当方は、現実主義には与することができないの

でありますよ。

 でも田中さんの文庫本をどこかで手にしてみることにしましょう。

 

訃報 ジョン・バース

 昨日の新聞を見ていましたら、USAの作家ジョン・バースの訃報が報じられて

いました。93歳とのこと。

「実験的な作風のポストモダン文学を代表する作家として知られた。主な作品に

『酔いどれ草の仲買人』『やぎ少年ジャイルズ』など」とありました。

 代表作の一つ「酔いどれ草の仲買人」の邦訳がでたのは1979年とありました。

当時かなり新しいものを収録した「世界の文学」という集英社のシリーズの2冊と

してでした。

 二段組で文字がぎっしりつまっていて、読みにくいことこの上なしでありましたが、

これが不思議に読むことができて、面白かったのですね。(といってもそれから読み

直す機会はないのですが)

 そんなわけで、それからジョン・バースの邦訳がでると買ったのですが、これが

なかなか読むことができずに、手元にどんと未読本がたまってしまうことにです。

今となっては、「酔いどれ草の仲買人」が読めたことも忘れてしまいそうであります

が、時々に思いだしたように、この場でジョン・バースのことを話題にしておりました

です。

 一番最初に話題にしたのは2008年のことで、古い「マリ・クレール」に掲載の

高橋源一郎さんと浅田彰さんの対談を紹介しているのですが、その対談で、

高橋源一郎さんが文庫化してほしいものとして、バースの作品をあげていまし

た。

「 そういえば、新潮社版のドイッチャー『トロツキー伝』全三冊なんて大昔から

絶版なんだけれども、あれも文庫化してほしいね。ジョン・バースの『酔いどれ草の

仲買人』も集英社文庫にいれてくれないかなあ。日本は翻訳大国だなんていわれ

ているけど、現代文学にかんしてはほとんどゼロにちかいんじゃな。絶版ばかりで。」

 本日は追悼の意味も含めて、何かジョン・バースの作品を読んでやりましょうと

探したのですが、一番つまみ読みできそうな「金曜日の本」がなくて、「やぎ少年

ジャイルズ」がでてきたので、これをほんのすこし読むことにしましょう。

町の本屋かな

 図書館から「町の本屋という物語」という本を借りてきました。

 惜しまれながら昨年4月に閉店した鳥取市にあった定有堂書店の店主が

書いた文章を収録したものとなります。1948年生まれの方が、1980年に

移住した鳥取市で新規で開業した書店ですが、いまから40年も前のことで、

しかも鳥取市ですから、セレクトショップなんて洒落たものではなく、町の本屋

としてのスタートです。

 この頃から町の本屋さんの経営はどんどんと大変になっていったはずであ

りますが、そうした時代に新規で参入したというのが珍しいことです。

 1980年頃といえば、あちこちの町で駅前再開発などがあって、そこにデパート

とか大手スーパーが入ってきて、それまで町の小さなお店が太刀打ちできなく

なった時代ですね。

 当方の仕事場にも、結婚した連れ合いが町の本屋の娘で、そっちの家業を

継ぐために、安定しているといわれる仕事を辞めた人がいました。町中心部の

本屋ではなく、あれでやっていけるのかなと思っていましたら、定期の雑誌等と

注文を受けた本の配達、教科書販売と学校や図書館納本などでなんとかやって

いけるとのことでありました。

 その本屋さんは、その頃が一番良くて、今も店は残っていますが、最近はどう

なっているのでありましょうか。店主が、あまり仕事熱心でないこともありまして、

残念ながら付き合いはなくなってしまいました。

 1980年頃に、この町にあった本屋さんは、ほぼほぼ創業者から二代目に

変わっていく頃でしたが、この町にもちょっと大きな資本の本屋さんが進出して

きて、そうした本屋も長続きはしなかったのですが、次から次へと新しい店の

進出があったことで、町の本屋さんは息の根を止められてしまいましたです。

 当方が足を運んでいる本屋さんは、本店は昔からの町の本屋で、本と文房具

を販売していて、当方の行きつけはスーパーの入っている建物の一角にある

支店となります。

 こういう店が姿を消したら、町が消えてしまうと思うのでありますが、今はそう

思わない人のほうが多くなっていって、それでシャッター通りが増えるのですね。

 

 

 

やっとこ節談説教を

 あしかけ3ヶ月にわたって図書館から借り続けている本でありますが、

これはほとんど読むことができていなくて、いくらなんでもそれはないよなと

思うことです。

 ページを開くとなんとなく読むことができそうなのですが、なかなか中に

はいっていくことができずです。これで駄目であれば、図書館に返すしかな

いかなと、本日はつまみ読みを敢行で、はじめにに目を通した後は、一番

興味を感じた節談説教について書いてあるところを読んでみることにです。

「節談説教とは、江戸時代の浄土真宗に発達した独特な節を伴う説教で

ある。節談説教の先行研究については、関山和夫による一連の研究が挙げ

られる。関山自身によって洗練されていった定義の一つを紹介しよう。

 節談説教とは、ことばに節(抑揚)をつけ、洗練された美声とゼスチャーを

もって演技的表出をとりながら、聴衆の感覚に訴える詩的、劇的な『情念

の説教』をいう。」

 仏教の法話を節をつけて語るのでありますね。これは江戸時代に発達した

のですが、明治時代にはいると徐々に衰退したとありです。

「上部の学僧たちが檀家制度を離れて近代的な教義に沿った発展を望んだ

ことにあるが、それだけでなく、映画やラジオなどの娯楽の普及によって大正

時代には廃れ初め、戦後は説教を聞く必要が失われたことにもある。」

 このあたりは関山和夫さんの説を、著者が引用しているところの孫引きと

いうことになりますが、これは鈴木聖子さんの「掬われる声、語られる芸」と

いう本にあるものです。

 節談説教とはどんなものかと、興味はあったのですが、なかなかとっかかり

がなくて、本日にやっと鈴木聖子さんの本の、それに関するところを流し読み

して、それにあわせて動画で、現在も節談説教を行っている僧の語りを目に

することにです。

 子どもの頃に、父親がラジオから録音した「歌入り観音経」という浪曲

聞いたことを思いだすのですが、節をつけて語られると、より気持ちがのる

ようであります。

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