一日にしてならず

 本日は図書館本の入れ替えをすることにです。新刊書のところに何か軽い

読み物でもないかなと思ってチェックしたのですが、日本の小説のところは、

ほとんど本が出払っていまして、三冊くらいしかありません。そのうちの1冊は

誰も借りる人がいないのか、いつも残っています。気の毒なので借り出しし

ようかなと思うのですが、この本は購入していますので、借りなくてもいいか

な。しかし、誰も借りる人がいないと、次からはこの方の作品は入ってこなく

なりゃしないかです。

 借りてきたのは、今年に刊行となったみすず書房の本。こんな本がでてい

たのかです。

 この本のあとがきに、この本の成り立ちが書かれていますが、これは研究会

の中間報告とのことですが、その研究会は、「日本における保守化・右傾化・反

知性主義化の構造」を探るものなのだそうです。

「主として日本の政治の保守化、右傾化、反知性主義化がなぜ起こったのかと

いうところにあったが、次第に政治面だけでなく社会のあらゆる局面での『劣化』

『自壊』とも呼ぶべき現象が顕著になってきていることに注目せざるを得なくなり、

研究会におけるテーマとしても学際的でより広い領域での問題を取り上げること

になった。」

 学際的でありますので、政治、経済、教育、マスコミ学など多岐にわたっていま

す。それぞれについての研究はありますが、このように1冊のなかにまとめられて

いて、一般読者にも読みやすいのはありがたいことです。

 それにしても、いつからこのようなことになったのかなと思うのですが、政治で

いきますと、その昔の自民党青嵐会グループは、極右というレッテルでありま

したが、最近の自民党にかのグループを据えたら、真ん中からちょっと右くらい

の感じでありまして、これをなんの不思議にも思わないのは、それこそやばい話

となります。

 こうした何も疑問に感じない国民を作っていくために、これまでの政権党は

教育を充実させてきたのでありまして、これは大いなる教育の勝利でありますね。

一日にしてならずでありまして、これを危惧する声はずっと前からあがっていた

のですが、それは負けてしまったのですね。

 それにしても、文部大臣経験者が、今回の資金のキックバックで名前があがっ

ているのですが、経済政策とか財政にはタッチさせないが、文部は好きにしていい

し、彼らのねらいもそこにあったので、これでは国が沈んでもしょうがないかなです。

 若い人たちは、この国の将来に希望を持てているのでしょうかね。

代わりに読むとは

 昨日に届いた「本の雑誌」4月号を読んでいましたら、「代わりに読む」と

いう言葉を思いついたという人の文章がありました。

今月の特集にちなんだ「『百年の孤独』を代わりに読む」という本を書いた

友田とんさんのものです。

 友田さんのいう「代わりに読む」というのは、どういうことなのでしょうね。

友田さんは、次のように書いています。

「小説でこんなことができるのかと!という興奮を、説明せずに生のまま読者に

体感してもらいたかった。・・・そこで思いついたのが引用しつつ読み進み

ながら次々と脱線するという方法だった。過去に見たり読んだりして、同じ

ような心の動かされ方をした作品をぶつけることなら私にもできる。・・

一見関係ない脱線のようでいて、元の話に戻ってくると、遠い世界の存在に

思われた『百年の孤独』の挿話が身近に感じられ、腑に落ちる。」

 へぇーこんな読み方があるのかと思いました。このような読み方をしたと

ころ、「百年の孤独」を四年近く読み継いだのだそうです。これぞ究極の

スロー読書でありますね。

 どうしてこのような読み方をしてみようとなったかといえば、宮沢章夫

さんの「時間のかかる読書」や、「後藤明生の影響を大いに受けていた」と

書いています。

 宮沢さんのほうは、まったく知らずでありましたが、なるほど後藤明生さん

といえば、思いあたらなくもない。

 後藤明生さんの「吉野太夫」は、谷崎の「吉野葛」に触発されて、それを

念頭におきながら、まるで違った話になるのでありますからね。

谷崎の「吉野葛」は、なかなかすとんとわかったという気にならない小説で

すが、後藤さんの「吉野太夫」はさらなりでありますね。

 後藤さんには、脱線につぐ脱線で、結局は未完で終わった小説もあります

が、当方もそうした脱線を面白がる読者の一人でありますけども、代わりに

読んではいないこと。

 

持つべきは

 本日に野暮用より戻りましたら「本の雑誌」4月号が届いておりました。

おおこれはありがたい、今回の特集は「マジックリアリズムに酔い痴れろ!」で

あります。

 今回の表紙には、「『百年の孤独』の文庫化はいつだ!?」と刷り込まれてい

まして、新潮文庫に入ることが告知されている「百年の孤独」を軸にした特集で

あることがわかります。

 ほんとですね、いつに文庫は発売になるのでしょう。当方はすこし前に、新潮社

職員のボーナスの原資を捻出するタイミングでと記して、6月くらいではないかな

と予測したのですが、これだけ鳴り物入りで、冬のボーナスにあわせて11月という

ことにはならんでしょうよ。

 「本の雑誌」社ではおじさん二人組(浜本茂さんと杉江由次さん)が新潮社

へと赴いて、新潮文庫編集部のお偉いさんにインタビューをして、刊行日を聞き

だしにいくのでありますが、これがまるで暖簾に腕おしでありまして、まったく

要領を得ないことで。

 如何に「百年の孤独」の文庫化が、新潮社にとって大きなイベントであるかが

伺われることであります。

 編集の偉いさんが話されるのは「要はしぼみゆく文庫マーケットに話題になる

ものを投下して活性化したいという願いが強くありまして、その大目玉が『百年

の孤独』なんですけど」ということで、これに続いて2月から5月にかけての目玉

を明らかにしています。

 ということは6月以降ということで、当方の6月見込みもあながちであります。

それよりも後になって、夏休み期間に入ると、増刷などの対応が困りますものね。

 この文庫刊行時期は、あまり遅いのであれば、当方がどこかにしまい込んで

ある「百年の孤独」の発掘作業を急がなくてはいけないというだけの話であり

ますが。

 このおじさん二人組のページの中には、読者アンケート「私の『百年の孤独

体験」というコラムがありです。採用されているのは、いずれも60代の男性三人

でありまして、そこのところを見ていて目が点になりましたです。

「兄が読んで面白かったからオマエも読んでみろと借りた1冊。」という書き出しの

68歳書店員でありますが、なんとまあこれを書いているのは当方の弟ではないで

すか。

 ということで、兄とあるのは当方のことになります。こういうふうに書き出してくれ

てありがとうです。やはりもつべきはでありますよ。

 当方が「百年の孤独」を買ったのは1972年12月17日でありまして、読んだ

のは12月21日で、昔の手帳に記してあったメモを紹介しておりました。

vzf12576.hatenablog.com 弟にすすめたのは翌年のことでありますから、彼は見事な落ちこぼれ高校

生であったのですよ。

 

震災の日

 このブログを始めてから、いくつもの大きな地震が発生したことです。

なかには北海道全体が停電になってしまったというのもあって、それでは隣町で

多くの人が亡くなったりもしたのですが、いろんな意味で2011年3月11日の地震

は強く記憶に残っています。

 これからもこれを超えるような体験をすることがあるだろうかと思うことです。

 何よりも当方がこの地震に遭遇した状況が印象深いものでありましたので、

そのことも影響しているでしょうか。ほぼこの地震に伴う混乱のなかで、当方は

三十数年つとめた職場を定年退職することになりました。

 それから十三年が経過です。被災地は復興事業のおかげで日常が戻ってきて

いるようですが、人は帰ってきているのでしょうか。

 能登半島を襲った地震もそうなりそうでありますが、過疎地は大地震にあうと、

人口減少に拍車がかかるようです。

 不便であっても、しずかで心ゆたかに過ごすことのできた暮らしを破壊する地震

は避けようがないのでありましょうか。

 

本日は初日で

 3月も半ば近くになって、日差しが強くなってきていることで、日中はストーブ

を消していても過ごすことができるようになりました。朝にTVで「趣味の演芸」を

見ておりましたら、ブルーデイジーの特集でありました。寄植えにもぴったりの

ブルーディジーで、我が家でも毎年苗をいくつか買って育てているのですが、

春を感じさせる日差しの日に、こうした番組を見ますと、園芸店へと行きたくなる

ことです。もちろんこちらの園芸店は、この時期はいまだ開店休業中であるので

すが。

 本日から相撲大阪場所が始まることになりです。たまには初日の最初の一番

から見物してやりましょうと、朝9時からでのネット中継を見守ることです。

序の口の取り組みでありますが、先日の北海道のニュースで取り上げられてい

旭川の高校を卒業して入門した力士のデビュー戦を見ることができました。

最初の序の口の取り組みから横綱が登場するまでに9時間も楽しむことができ

るのですからありがたいことです。

 この3月には関西へと行く予定をしておりまして、本場所にも足を運びますの

で、それの予習をかねて、しばらくは力士の情報収集を行います。

 本日はヒイキの力士が初日に白星で、これは久しぶりのことであって、白星

スタートでありますと、こちらまで気分があがることです。

 本を読むのは、すこしおろそかになっていまして、佐藤正午さんの小説の再読

で何十ページかと、青島顕さんの「MOCT モスト」を読んでおりました。

「MOCT」はほぼほぼ最後のページにたどりつきましたです。

 最近のところは、まったく不人気のロシアでありますが、戦前戦後においては

そんなことはなくてです。この「MOCT」に登場する「モスクワ放送の日本人」は

ロシアという磁場に引き寄せられた人々でありまして、かってのソ連という国に

惹かれて渡った人がいれば、そこまでの思いもなくてなんとなく渡った人もいる

ことですが、やはり米国に惹かれた人とは違った人生を歩むことにです。

 戦前、戦中派の人たち、そしてソ連が破綻する時期に滞在した人たちと、ほん

とにディープな人間模様です。

 何人も強烈な個性の人がいるのですが、この本の最後のところに登場する

ロシア語学校の先生もすごいことで。このくだりを読んでいたら黒田龍之介さん

という名前が登場して、そうか、数ヶ月前にちくま文庫となった本は、この語学

学校の話であるかと思いましたです。

 この本を読んでいましたら、編集工房ノアからでている庄野至さんの「足立さん

の古い革鞄」に収録の「黒猫の棲んでいるホテル」という文章を読み返したく

なりましたです。

 次のようなくだりがあります。

「藤井君は新潟の生まれ。中学生の頃から、ラジオを聴きながら勉強をするように

なっていた。その頃流行していた若者向け深夜番組も好きだったけれど、ダイヤル

を回している間に、その隙間から日本海を隔てたウラジオストックから聴こえてく

るロシア語放送に、興味を持つようになった。」

 こうしてロシア語放送のとりこになった藤井くんの運命やいかにであります。

 

ここにありましたか

 本日は土曜日でありますので、ふとんのなかで新聞読書欄に目を通す

ことになりです。なにか気になる本はないかなでありますが、先日の図書館

で手にしていた本が紹介されていました。これは読むことはないだろうなと

思うことで。

 午前にはトレーニングへと行って汗を流すことにです。このところ土曜の

午前は利用者さんが多くて、ランニングマシンなどは順番まちができるよう

な状態です。当方の本日は80分間の運動ですが、ランニングマシンは最後

のメニューですので、お昼に近くなって、そのときはすこし空くようになってい

ました。二週間ほどまえに股関節に痛みを感じて、すこしペースを落としての

運動をやっておりますが、ほとんど痛みは感じませんので、そろそろ戻しても

大丈夫かな。

 午後からは食材も含めての買い物にでることです。その時に、ブックオフ

立ち寄ることにです。家人は、最近にTVで放送のあったドラマ「あきない世傅」

が面白かったということで、原作本を読んでいます。図書館から借りたり、

ブックオフで求めたりですが、先日に当方が立ち寄った時に、この店には探し

ているのがあったと思うわといって店内に入ったのであります。

 先日に当方が立ち寄ったのは、この店で乗代雄介さんの本を見かけた

ような気がするからでありました。その時には、棚に乗代さんの本はなくて

売れたのかなと思ったのですね。

 本日も乗代さんの本はなくて、「あきない世傅 金と銀」の未読の巻を購入

して、この店は終わりです。

 本日は、すこし時間があったこともあって、この店から車で20分ほどのとこ

ろにある別のブックオフにも足を伸ばすことにです。ここでも、家人は「あきない

世傅」をさがし、当方は乗代さんの本をチェックです。

 そうしましたら、新刊とかをあつめた話題の本というところに、探している

乗代さんの本が置かれているではないですか。これはありがたい。当方が

以前にブックオフで乗代さんの本を見かけたというのは、この店であったの

だろうか。前回に見かけた時には、買うのをためらってしまったのですが、

本日はちょっと値段が下がっているようですし、無条件に購入です。

 ということで、本日の収穫です。

 芥川賞候補作でありながら、芸術選奨文部大臣賞を受けてしまった作品。

帯には「今もっとも注目される作家の最高傑作」とあります。注目の作家である

ことには異存はなしですが、この作品がこれまでの「最高傑作」であるのかどう

かを確認するためには、借りてよむのではなく、買って読まなくてはだめでしょう。

 どの作品が好きかということになりましたら、女性は「旅する練習」という人が

多そうに思いますが、どうでしょうね。

 

厠での読書

 このところ厠で手にしているのは、種村季弘さんの「書物漫遊記」であります

が、これはめっぽう面白い。もうずいぶんと前にでた文庫本でありますが、たぶん

元版も持っているはずです。

 昭和52年に隔週発行の「週刊時代」というのに連載したものをまとめたもの

です。「週刊時代」なんて、ほとんど手にしたこともない雑誌ですが、あの丸元淑生

さんが編集長で、その関係で種村さんに依頼があったとあります。

 本日読んでいたのは「我が闘争 吉田健一 流れ」という文章で、吉田健一

さんの「流れ」という短編小説を枕に、後半では自分のところにくる借金取りとの

やりとりが描かれる小説のような味わいの文章です。

 吉田健一さんの「流れ」という小説は「筋らしい筋のある小説ではない。その町

に住む造酒屋の主人の青年が、川沿いの『あわや』という何の変哲もない居酒屋

で酒を飲むだけの話である。『あわや』はどうということはない店であるが、その

どうということがないというところが、得もいわれずいいのだ。」とあります。

 これを読んだ種村さんは、「あわや」へと行って酒を呑みたいと思うのですが、

「考えてみれば無理なのである」でして、どこにもない町の、架空の「あわや」と

いう飲み屋で、備後正宗という架空の酒を飲む。

「一から十までが絵空事の贅沢で、しかもそれがどこにでもありふれた贅沢の

ように思えるのに手が届かない。」

 いかにも吉田健一さんの世界でありますね。現実の街について書いた小説よ

りも、この「流れ」というのを読んでみたいことです。

そう思って検索をかけてきましたら、この作品は中公文庫の短編集にに収録さ

れているとのことです。

 種村さんの文章の後半は飲み屋のつけの借金取りとのやり取りですが、

この取り立てやさんに思わず感情移入することです。

「桜井さんは六十がらみの、どこかの中小企業を定年まで勤め上げて、病妻の

ためにいやな稼業にも手を染めなければならなかったという曰くでもありそう

な、みるからに人生の敗残者然としたお爺いさんなのである。入口の戸を開ける

と、いつも申し訳なさそうに気弱な微笑を浮かべながらしょんぼり立っている。

歴然たる失業者より失業者然としていて、もっとも、そうでなければ失業者から

借金を取り立てるのには不向きだ。」

 失業者から取り立てをするのは、相当な技術がいるということがわかります。