小沢さんと山田さん

 昨日に話題にしました「ぽかん 09」の続きであります。

 小沢信男さんについて書いている山田稔さんの文章が、ほんとにありがたい

のですね。

 どちらも当方が20歳になったばかりの頃からファンでありまして、そろそ

ろファンとしての付き合いは半世紀であります。いつも記しておりますが、つき

あいが長いだけで、さっぱり読みは深まらないというのが残念な限りです。

 最初にファンになったのは山田稔さんでありまして、京都で学生生活をして

いた時に、硬派の学生は高橋和巳などを読んでいたのですが、軟弱な当方は、

それに手を出さず、山田稔さんを読んでいたのです。

 もっといえば、これもここで話題にしたことがありますが、同じ時期にでた

丸谷才一さんの小説(「たった一人の反乱」)ではなく、山田稔さんの「教授

の部屋」を購入したのですね。このあたりから、当方のマイナー作家好きが

はじまったわけです。

 小沢信男さんはその翌年に出た「若きマチウの悩み」を手にしてですが、こ

れは、鶴見俊輔さんの書評を目にしてのことでした。

ほぼ同じ頃に、富士正晴さん、長谷川四郎さんを読むことになり、富士さんを

通じてVIKINGを、長谷川さんからは新日本文学を知ることになりました。

 ちょっとタイプは違うものの、西の富士正晴、東の長谷川四郎というのが

当方の小説見取り図となります。

 古いスクラップ帳に、日付は書いてないのですが富士正晴さんの「茫漠のひと

長谷川四郎」という文章がありまして、それには、次のようにありです。

「いつごろからか、長谷川四郎から小説集が来、こっちからも本を送るが、そ

れについての感想が来たことも、やったこともないような気がする。」

 この後に、近刊の「よく似た人」とありますので、1977年頃のものの

ようです。

 この小文が気になったのは、山田さんの「ぽかん」の文章にも、小沢さんと

相互に自分のほんを送っていることが書かれていたからです。ところで、これ

はいつ頃からのことであったのだろうと気になって、読んでみたりです。

まったく、こんな読み方では、肝心のところを見逃してしまいそうです。

 今回に山田さんの文章を読むまで、福武文庫の「スカトロジア」の解説を

小沢信男さんが書いているのを知りませんでした。(忘れていたということ

でしょう。下の写真は「ぽかん09」と福武版「スカトロジア」)

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「ぽかん 09」届く

 本日に京都の家族に購入を依頼してありました「ぽかん 09」が届きまし

た。定期的に一乗寺まで行くので、その時に確保してよとお願いしたものです。

 つい先月に、彼のリクエストで当方が大事にしていた小沢信男さんの自筆

色紙(学ならずの俳句が記されたもの)をプレゼントしましたので、まあその

お返しということにもなりです。

 久しぶりに出た今回の「ぽかん」は「小沢信男さん追悼小特集」の趣であり

まして、巻頭に山田稔さんの「もういいか」という小沢さんについての文章が

置かれ、最後は筑摩の編集者 河内 卓さんの「小沢信男さんのこと」があり、

編集後記では真治 彩さんが「ぽかん」で初めて小沢さんに原稿を依頼した時

のことが書かれていました。

 小沢さんについて、複数の文章を目にすることができるのは、今ではこの

「ぽかん」くらいでありまして、今から20年前くらいでありましたら、もう

少し他の雑誌でも目にすることができたように思いますが。

 それだけにミニコミのありがたさです。何もわざわざ紙に印刷したもので

なくてもいいじゃないかと言われそうですが、WEBページは消滅してしまい

ますが、紙の本はすぐには劣化しませんかんらね。

 送ってくれた「ぽかん」にはメモが同封されていまして、山田稔さんが言及

している「(茨木図書館)講演後の写真」というのは、「あなたが写したもの

ですね」とありました。

 それはそれはみてみなくてはです。山田さんはその時のことを次のように書い

ていました。

「書棚の引き出しの奥からその時の写真が出てきた。一枚は講演後に控え室で

向き合って椅子にかけている小沢さんと私が大口を開けて笑っている図。

一体どんな話をしていたのだろう。もう一枚では小沢さんを真中に福田紀一

私が立っている。われわれ二人は帽子をかぶっていて、ビアホールを出るとこ

ろらしい。」

 この講演会の時は、当方は勝手にエスコートをかってでて、京都のホテルか

ら、茨木まで同行したのでありました。そんなこともあって、図々しくも控え

室にも入って、写真をとっていたのでありました。

 この時の写真は、会場にいらしたVIKING同人の方を通じて山田稔さんに届き、

良い記念になったと礼状をいただいたのですが、それがこの文章で形になると

はです。

 本当に「ぽかん」のおかげであります。

vzf12576.hatenablog.com

 

 

ブックディレクターか

 行きつけの図書館の顔馴染みの司書さんから、今月末から「あなたも

ブックディレクター」というイベントをやるのだけど、参加者が集まらない

ので、参加してもらえないかなと声がかかりました。

 何かのテーマに絞って(絞らなくても、自分の好きなものでもいいのか)選

書して展示するというもののようです。図書館架蔵のものから二十冊から三十冊

ということですので、何かやってみようかなとおもって、そうだ今年に亡くなっ

小沢信男さんの「通り過ぎた人々」にちなんだ選書をしてはどうだろうかと

いうことになりました。

 さすがに小沢信男さんの「通り過ぎた人々」は図書館にもあることですから。

 これで取り上げられている人の作品などと小沢さんの本を並べて三十冊という

のはどうだろうかとおもって、ネットで蔵書検索をかけてみたりです。

 その昔(1995年9月のこと)に、この図書館で小沢信男さんの講演会が開催さ

れたこともあって、ちょうど亡くなった年の年末に小沢さんの「通り過ぎた人々」

を追悼する棚を作らせてもらうというのは、当方にとっては意味があるのでは

ないかと思うことです。

 あまり幅を広げてはいけないし、「通り過ぎた人々」だけだとあまりにも地味

すぎるしということで、あれこれと思案することです。

 「新日本文学」だけではなく、詩の師匠であった丸山薫さんのものからと思っ

て検索をかけましたら、単独の詩集はなくてアンソロジーに入っているもので

あったり、畔柳二美さんのものはと思ったら「山の子供」がなかったりでありま

して、当方のところには当然のようにあるものも揃わないというのが、公立図書

館の残念なところであります。

 せっかくなので、中野重治、佐田稲子、花田清輝長谷川四郎と並べてあげた

いし、菊池章一、野呂重雄、川崎彰彦は欠かせないが本は揃うかな。

あとは親交があって、亡くなった坪内裕三さんと池内紀さんのものも入れたいな

というようなことを考えているのが一番楽しいことであります。

 本当に実現するのかな。

 

そろそろ入荷したか

 強い風に雨もついて、ほとんど台風のような感じでありました。本日は

なんとか朝から穏やかな天気となり、午後には青空ものぞきました。

この風のために、少し残っていた木々の葉はどっと散ってしまいました。

これで紅葉の季節も終わりでありますね。

 夕方に行きつけの本屋へと足を運んでみました。11月も10日になって文庫の

新刊が入っているのではないかと思ったのです。一番のお目当てはちくまの

「古本屋写真集」でありましたが、これはまだ入っていませんでした。

 同じちくまのこちらもだめでした。

 ちょっとざんねん、これはまた週末にでも訪ねてみることにいたしましょう。

 それじゃ他には目ぼしいものはないかと新刊をチェックです。単行本は特に

気になるものがなくて、買ったのは次の二冊でした。

 ヤマケイ文庫はいいですね。あまり山には縁のない人にも勧めることができ

るというのがありがたいこと。先日に図書館から借りていた「山に生きる」と

いう本に、宇江敏勝さんの本が勧められていて、これは山仕事に従事している

人が自ら記録した貴重なものとありました。

 宇江敏勝さんというと新宿書房からシリーズで著作が出ていて、この人は

どのような人なのだろうかと思っていましたが、文庫になっていることを教え

られて、買ってみることにしました。

 最近は、すっかり林業というのは斜陽なのですが、山を守ることの重要さは、

先月まで放送されていたNHK朝ドラでも強調されていたことです。

著者の紹介には文芸同人誌「VIKING」同人とありました。これはしらなかった

ことで。新宿書房の広告を見た時に、手にとってみるべきでありました。

 買ったもう一冊は、これです。

 中公文庫のこの手のもので、著者が自分よりも若い時には、購入することに

しています。

 この本の前書きには次のようにありです。

「歴史的事実の全面的な否定を試みたり、意図的に矮小化したり、一側面のみ

を誇張したり、なんらかの意図で歴史を書き替えようとすることを『歴史修正

主義』と呼ぶ。歴史修正主義は、時代や政治状況により形を変えて繰り返し

現れる。膨大な資料、目撃証言、物理的痕跡など、山のように証拠があっても、

消えることはない。」

 新しい知見によって書き替えることはあってもいいとはいっているのですが、

いい書き替え、悪い書き替えというのがあるといっていて、もちろん歴史修正

主義で問題となるのは、悪い書き替えであります。

知らないにも程が

 岩波「図書」11月号を手にしていて、頭からパラパラとみています。

宮崎駿ジブリ美術館を訳す」というインタビューがありまして、ここに

登場するベス・ケーリという方は、「日本生まれ、日本育ちです。父は京都の

同志社大学で教えていて、母は医者をしていました。」と自己紹介しています

ので、オーティス・ケーリさんの娘さんとなるのですね。

 志茂田景樹さんのエッセイも読むことができました。志茂田さんのものなど

は岩波からかぎりなく遠いように思いましたが、それは昔にTVなどに登場した

時のイメージが刷り込まれているからでしょう。この「父と兄の書棚が招いた

変な読書」という文章は、もちろん至ってまともなものです。

 最近韓国の小説を翻訳して有名になった斉藤真理子さんは中学生の頃に読ん

だ作家 森村桂さんについて書いていました。そういえば、最近は森村桂の本

を見かけることがなくなっていることです。

 とここまでは書き手についてイメージがあったのですが、柳広司さんについ

ては、あれっ建築家であったかなという認識です。そういえば、昔も「図書」

に連載していたことがあるけど、ずいぶんと雰囲気が違うなと思ったのですが、

これはもちろん名前が似通っているだけで、全く関係なしでありました。

 柳さんの書くところを引用です。

「残念ながら(ではもちろんないが)我が家はテレビが映らない。アナログか

らデジタルに移行したじてんで映らなくなり、先方の都合で映らなくなったの

をわざわざ買い替えるのも業腹なのでそのままになっているだけだが、ともか

く映らない。・・ネットニュースも見ない。というと『それだと世の中につい

ていけなくないですか』と真顔で心配されたが、日刊新聞を三、四紙、週刊誌

に月刊誌、興味を持った分野は関連書籍も読んで、それでもわからない世の中

などというものがあるものだろうか。断片的で不確かな大量の情報は混沌しか

もたらさない。」

 柳広司さんという方は、このような考えの人なのですね。まるで知りません

でした。(ほんと知らないにもです。)

 当方はテレビはよく見ておりますし、ネットニュースも見ているのですが、

そのヘッドラインにつられて読むたびに、自己嫌悪に陥ったりすることであり

まして、こうしたひっかけにかからないよう、もう少しお利口にならなくては

と思うことです。

 何よりもネットニュースの情報提供元は、これまでほとんどお付き合いもし

たことのないところでありまして、一例を挙げますと東京スポーツなんて、

競馬とプロレス記事以外は、ウケ狙いのものであるように思えて、まともに

受け取る方がおかしいというような思い込みがありです。

 毎日のようにこのようなヘッドラインを目にして、ネットニュースがあれば、

新聞とかはいらないよねというと、まさに「新聞を読むような連中は、我々に

投票しない」といった人の思うツボですね。

 

 

 

 

 

すこししゃんとしなくては

 なかなか忙しい11月でありますが、まずまず順調に予定をこなしております。

思い通りにいかないのは本を読むことでありまして、これに関してはもっと

もっと頑張りましょうです。

 やっとこさで落合勝人さんの「林達夫 編集の精神」を読んでいます。毎日

少しずつでありまして、この調子では今月に読み終えることができるのかな。

この本を読んでいましたら、林達夫さんの文章は、このように読解することが

できるのかと思うことです。

 ちょうど真ん中くらいまできているのですが、ここら辺で、林達夫さんが

戦後に発表した「反語的精神」という有名なものを取り上げていて、それに

ついて気合いの入った読みが展開されています。

 この「反語的精神」は、木下杢太郎についての文章の依頼を受けたが、とう

とう書くことができなかったという話になります。それにしてもなぜ木下杢太

郎であるのかが、わからないのですね。

 それについての、落合探偵の推理です。

「それにしても、なぜ林達夫は『木下杢太郎』の依頼を引き受けたのだろうか。

著作集を渉猟しても、少なくとも表面上、両者の思想的、文学的連関性は希薄

である。とはいえ、「五年間にわたる文筆家的休業状態』を続行してきた林に

かぎって、ウッカリOKしたは到底あり得ない話である。

 ここで筆者は、谷川徹三の『思想座談会』に集まった知識人の一人に、木下

杢太郎がいたことを思いだす。あるいは、詩人、劇作家、小説家としての木下

ではなく、海軍系の人脈に連なる木下の存在が、東方社、あるいは陸軍、参謀

本部のイメージに連なる記憶を刺激した、と考えるとどうなるだろうか。」 

 落合さんは、このように書いてから、この文章が林達夫による「ある種の

告白」であるとしたらと続けています。この文章は、そのように読んでみる

というススメであるのかです。

 これを機に「反語的精神」を読んでみることにしましょう。(難しい言葉は

使っていないのですが、わかりにくいのですよね。)

 

繰り上げて法要

 本日は法要を行いました。一日早い四十九日と二ヶ月早い17回忌を合わせ

ての法事です。当方の兄弟を中心に77歳から1歳児まで13人が集りました。

いずれも北海道内からの参集でありますが、帯広、札幌、函館からでありまして、

真冬になりましたら、とても集りましょうとは言えないことです。

2006年1月に葬儀がありました時には、ひどい低気圧に見舞われまして、飛行機

は飛ばない、高速道路は止まると、参列された方々はとても大変な思いをされた

ことが忘れられないことです。

 本日はお天気もよろしくて、無事に皆さんお宅に戻ることができたようです。

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 本日参会の一人が、東方へのお土産ということで、文庫本を一冊じさんしてくれ

ました。とっても面白いので読んでみてよとのことです。先月に来た時には最新作

を読んでいると教えてくれたのですが、こちらはちょっと前のものであるとのこと

で、これも読まなくては。