月が変わって

 11月にはいって一週間近くもたつというのに、いまころになって月が変わっ

てというのは、1日には大阪で投票が、4日にはUSAで選挙があって、これに

ペースを狂わされていたからでありますね。

 すこし日常を取り戻さなくてはです。そういうことで、遅ればせながら、

月末からこれまでに届いた出版社のPR誌を手にすることになりです。

岩波「図書」の巻頭には、「ドードーはどこへ行った?」という川端裕人さん

の文章がのっていました。(上)とありますので、(下)に続くのでしょうが、

いつもより、これに反応したのは「ドードー」の文字でありまして、これは先月

に図書館から借りて読んでいた「蜂須賀侯爵」に関連するではありませんか。

  上の著者である村上さんは、ドードーに興味があるというよりも蜂須賀侯爵

というユニークな人物に関心があって、追いかけているのでありますが、こちら

の川端さんは、まさにドードー鳥に興味があって、それを熱心に追いかけていま

す。

 川端さんが紹介する「ドードー」についてのくだりです。

「(ドードーは)十七世紀なかば、350年くらい前までに絶滅してしまった飛べ

ないハト科の鳥である。頭でっかちのがっしりした体型で、体重も10キログラ

ムほどもあったと言われる。絶滅動物のアイコンとも言える存在だ。・・

 十七世紀までは生きてモーリシャス島に住んでいた。いわゆる『近代の絶滅』

なので人の側の責任も大きく、そういう意味でも強い印象をもたらす。

 ぼくは『近代の絶滅』に関心があり、ドードーに特別な思い入れを持っている

一人だ。」

 ドードーに特別な思い入れをもって、日本に来た可能性のあるドードーの足取

りをたどってみるというのが、この(上)のあらましですが、「ドードーをめ

ぐっては世界的な関心ネットワークがあり、研究者としてドードーに相対してい

るジュリアンやレオンは、その中でも中心的な存在だ。」ともあって、これは

ほんと知らない世界の話であります。

 次号が楽しみなことであります。

 

 

穏やかな日々を過ごすために

 こころ穏やかに過ごすためには、外からの情報を遮断するのが一番である

のかもしれません。情報を求めてネットの世界に入り込むと、とんでもない

世界が広がっていまして、ほんと多様な意見のなかで、日和見の当方など迷子

となってしまいそうです。

 その昔でありましたら、そんなバカなことを言ってというようなことが、

今は大真面目(?)に語られ、それにいいねという人が沢山いるのですから、

ほんとにわからないことです。

 このように記しましたら、それは当方が常識に凝り固まっているからだと

あっさり一蹴されそうですが、総合的俯瞰的に見て、これはどうなのであり

ましょう。

 USA大統領選挙の結果を気にしながら図書館で本の借り換えをすることに

なりです。(順調であれば、本日の午前くらいには結果がでるのではと思われ

ていた選挙ですが、どこまでいっても負けを認めない人がいるのですから、

これは終わらないのでありますね。ほとんど南北朝のごとくでありまして、

正当な大統領である印というのがあるのでしたら、それを持ってどこかに

こもるのでありましょう。)

 本日に新たに借りて来たのは、数日前に行きつけの本屋で手にとった小説と

なります。

われもまた天に

われもまた天に

 

  今年二月に亡くなった古井由吉さんの遺作となります。古井さんは気になって

いて、これまで文庫本を何冊か購入しているのですが、うまく読むことができて

おりません。

 遺作を含む作品を読んで、うまくいけば、ここから遡ってみましょうという魂

胆になります。

 古井さんの文章は読みにくい印象を持っているのですが、これに収録されてい

る作品は、30ページほどのものでありますので、なんとかついていけそうな

感じです。

まるで縁がなかった

 図書館から借りている本の返却日となったことから、あわててページを

めくっています。今借りている本は5冊でありますが、そのなかにはほとんど

借りられることのないような本もありますので、それはちょっと置いといて、

予約が入ってきそうなものを手にすることになりです。

 これまでほとんど縁がない作家さんの随筆選集を借りています。編者が日下

三蔵さんであることと、装画・装丁が美しいので思わず手が伸びたものです。

皆川博子随筆精華 書物の森を旅して

皆川博子随筆精華 書物の森を旅して

 

 そもそも皆川博子さんて誰というのが、当方の認識でありまして、これまで

皆川さんの小説はまったく読んだことがありませんでした。検索をかけて1930年

生まれであることがわかったくらいです。

 それにしても、このエッセイ集のあとがきをみても、90歳になる方が書かれた

ものとは思えませんでした。

 1930年1月生まれというのが戸籍上であるようですが、この年齢は女学校までは

旧制の世代でありますね。東京女子大学に進学したとありますが、これは何年の

ことかわかりませんが、ほぼ同じ頃に東京女子大に進学したのが矢川澄子さんと

多田智満子さんでありまして、この方々は、どこかで一緒に何かしていないかと

ユリイカ特集号で矢川澄子さんの年譜をチエックしてみることになりです。

 なんとなく接点はありそうですが、ちらっとみたところでは皆川さんの名前を

見出すことはできずです。ちょっと活動の場が違ったようです。好みはかぶって

いるところがあるのにな。

 皆川さんは、次のように書いています。

「目にする活字本がほとんどすべて面白く、心に沁みこみ、ほかのことはうっちゃ

らかして、ひたすら本の虫で過ごしたのは、小学生から旧制女学校の二年、年で

いえば、十三、四のころまでで、その後数年、本に飢えながら、手に入らないと

いう時代が続いた。・・

 子どものこと雑多に読んだ本は忘れがたいものが多いが、なかでもピランデルロ

の『作者を探す六人の登場人物』は、初めて出会った前衛劇で、もちろん十やそこ

らの子供は、前衛という言葉も知らなかったけれど、迷路のなかを引き回されるよ

うな陶酔感に酔った。」

 70歳に手の届きそうな当方は、いまだにピランデルロを読んだことはなしであり

まして、それにしても「十やそこらで陶酔感に酔う」ことができるの作品なので

しょうか。もっと若くにこういう文章が書かれていたら、嫌味な人と思うのですが、

なんといっても、当方はかって早熟であった九十歳の女性が、過去を振り返ってい

るのだと、すこし余裕を持って読むことができることです。

 そしてまた次のようにも。

「偏愛の作品は、シュルレアリスムと呼ばれるものに多いが、それにしても、

ゴンブロヴィッチは抜け落ち、シュルツは掌中の珠と残り、ヤーン、ドノソは

溺愛してもボルヘスはすべり落ち、リアリズムの極北にあるヴェルガが至宝の

一つとなるという気ままぶりである。」

 このように書かれている作家さんが、どのような小説を発表しているのか、

ちょっと手にしてみようかしらんです。

 

仕事で小説を見る

 せっかく小説を読むのでしたら、楽しく読みたいものですが、これが仕事

でしたらとっても楽しんでなんかいられないでありましょう。

 仕事で小説を読む、見るとなりましたら、これは編集者とか校正者さんが

そうでありましょう。そんなことを思ったのは、本日に読んでいた小説のあと

がきを目にしたからであります。

 作品は金石範さんの「地底の太陽」集英社 2006年であります。

今年は岩波書店から「海の底から」が刊行されて、これは「火山島」の続々編

にあたるとありましたので、こちらを読んだあとに、それの前段を描いた「地

底の太陽」という作品を読むことにしたわけです。

海の底から

海の底から

  • 作者:石範, 金
  • 発売日: 2020/02/21
  • メディア: 単行本
 

 金石範さんは、ほとんど一つのことにずっとこだわっての作家生活でありま

して、それは朝鮮半島はどうしてひとつの国家にまとまれないのかという課題

であります。

 それにしても、朝鮮半島の戦前の統治下におけるコラボ問題というのは、現

在にもずっと尾を引いていることでありまして、大韓民国朝鮮戦争後には

米国軍に支援された李承晩が政権を担うのですが、これが民族主義の人から

いわせればコラボ政権となるのでありまして、それに対する反発が民主化運動

ということで、何十年も続いていたわけです。

 ずっと大韓民国は軍事政権でありまして、現在の国の在り方は、当時を知る

ものからすれば、信じられないことであります。そうしたなかで、コラボ政権

への批判が高まるのは当然(?)でありまして、協力者たちは鋭い批判を浴び

ることになっていますね。

 それはさて、「地底の太陽」の作者あとがきから引用です。

「編集担当者の苦労は改めていう必要がないが、小説にあまりなじまない『あ

とがき』を書くこの際に、一言記しておきたい。

 単行本担当者の高橋至氏とは付き合いが長い。もう三十年以上になると思う。

『地底の太陽』は、高橋氏の協力があって出版されたものである。・・

併せて、『火山島』全七巻を読破し、小説中の日時や事項の間違い等々、いろ

いろとチェックしながら校正された原健一氏、同じく全七巻を読み、この作品

との細部の違いを指摘し、また登場人物表を作られた原田拓氏」

 小説のあとがきというのは、あまりないと思われますが、そこに校正を担当

された人の名前があがるのはめったにないのではないかな。

「地底の太陽」というのが「火山島」の続編というものであれば、当然、その

前作とのあいだで整合をとらなくてはいけないわけですが、作者、編集者、校正

者のそれぞれが全七巻を読み返し、メモしながら作業をすすめるというのが、

仕事とはいえ、ものすごく大変なことでありまして、これは書くのも、作るのも

力技となります。

この地で生きる

 昨日にBSフジで「ジャズ喫茶 ベイシー」という番組の放送がありました。

数年かけて制作された映画の公開にあわせて岩手めんこいテレビが作った番組

であります。フジテレビの名物プロデューサーが映画制作にからんでいるせいも

あって、こうした番組ができたのでありましょう。

www.uplink.co.jp 岩手の一関と聞いて思い出すのは、当方の世代にとってはNSPというフォーク

グループでしょうか。ジャズの好きな人にとっては、なんといってもジャズ喫茶

の「ベイシー」でありまして、ジャズ喫茶ファンでありましたら一度は足を運ん

でみたいと思うお店です。

 昨日のTVで取り上げられていたのは、このお店のマスターであります。菅原

さんにとっては、ここが自分の生きる場所でありまして、この場所が魅力あるも

のとなるように日々努力をしているのがわかります。

 なかなかこのようにはいかないのでありますが、自分が生活している場を大事

にしたいものであります。日々の生活への満足感は、むしろ東京などよりも地方

といわれるところの小都市のほうが高いように思います。(これは良くも悪くも

でありますが。)

 そんなことを思っていましたら、本日に立ち寄ったブックオフで次の本を発見

です。

出版屋の考え休むににたり: 出版屋の考え休むににたり
 

  福岡にある「石風社」の代表者によるエッセイ集となります。九州にはすぐ

れた書き手がいらして、他の地域と比べると出版は活発なようにも見えますが、

事業が大変なのは、他と(もちろん東京も含め)かわりなしです。

 この本の冒頭におかれた文章からの引用です。

「東京には、『中央ー地方』論を超えた、近世都市としてのおもしろさもある

ことを冷静に認めた上で、それを相対化できる価値を、具体的な作品として

生み出さなければ意味がない。・・・

 九州・福岡という土地は、職業的書き手こそ少ないけれど、その風土に豊か

さをはらんでいる。それは東京に唱導された『地方の時代』という言葉に象徴

されるような、胡乱なことではない。またはやりの『村おこし』というのも、

地方都市を含めた都市資本による、全国的な地方の解体=商品化の別称である

ことは自覚しておいた方がよいと思う。」

 文中に「村おこし」という言葉があることからもわかるように、これはずい

ぶんと昔、1992年に書かれたものです。これが書かれてから20年近くもたって

東京と地方の関係にはかわりがないのでしょうが、世界的にみると東京の地位

はずいぶんと低落したようにも思えることです。

 ちなみに九州の出版社「石風社」さんが刊行した本で一番有名なものは、次

のものでありましょう。

ペシャワールにて 癩そしてアフガン難民

ペシャワールにて 癩そしてアフガン難民

  • 作者:中村 哲
  • 発売日: 1992/03/20
  • メディア: 単行本
 

 

あれから6年か

 今は亡き池内紀さんが翻訳していることを知って読むことになったのが、

チャトウィンの小説でありました。それが2014年のことでありまして、当方は

この年のことを「チャトウィン元年」として記録しておりますので、それから

6年が経過であります。

vzf12576.hatenablog.com 最初に読んだのは「ウッツ男爵」、それから買い揃えているのですが、いまだ

未読のものもあるものの「ソングライン」以外は、ほぼ手元にあることになりま

した。(といっても作品数が少ないので、すぐに集まってしまいます。)

未読のものは、これから70代に入っての楽しみにとっておくことにしています。

 一番新しい刊行物は、河出文庫にはいった「パタゴニア」でしょうか。これが

2017年でありました。この作品は、河出からでた池澤夏樹個人編集「世界文学全

集」に収録されたものの文庫化でありました。

 今のところ、一番容易に入手できるチャトウィン作品といえば、これになりま

す。それにこれには、池澤さんの解説がついていて、これもお得であります。

 この解説に、次のくだりがあります。

「彼は二十世紀のイギリスでもっとも惜しまれた、最もロマンティックな、プリン

ス・チャーミングとして逝った。まるでバイロンではないか。

 友人たちの一人で作家のニコラス・シェイクスピア浩瀚な伝記を書いた。

イギリス人の伝記好きは尋常ではない。ちょっとした人物はみな伝記を書いてもら

える。当人の死後まもなく誰かがいわば公認の伝記作家として名乗りを挙げ、家族

や友人たちに詳細なインタビューを重ね、書簡などの資料の提供を受けて書く。

『ブルース・チャトウィン伝』は本文だけで五百五十ページです。そして無類におも

しろい。」

  チャトウィンというと、旅する作家でありまして、山口昌男篠田一士そして

池内さん、池澤さんとファンが多いのでありますが、この浩瀚な伝記も読んでみたい

なと思っておりました。

 翻訳がでなければ、とうてい読むことができないと思っておりましたが、思いが

けず、この翻訳がでることになりです。昨日の新聞書評欄にこれが取り上げられて

いました。すぐには読むことが出来そうにありませんが、来年以降にむけてこれを

確保したいものです。

ブルース・チャトウィン

ブルース・チャトウィン

 

 8月にでているというのに、これまで当方のアンテナに引っかからないとは、

 どうしたことかです。版元は角川書店だそうです。角川とはまた意外なと思われ

る方もいるでしょうが、角川は、いまは角川文庫にはいっているチャトウィン

本を1999年に単行本として刊行していて、かなり付き合いが古いのでした。

  これの角川文庫版は池内紀さんが解説を書いています。

「『パタゴニア』以来、愛読してきた。書いたものすべてを読みたいと願ってい

た、ほとんど唯一の同時代人だった。」

 チャトウィンにはまった池内さんは、1993年に『ウッツ男爵』の翻訳をして

チャトウィンを日本でメジャーデビューさせることになったのでした。

 

秋晴れの午後に

 本日は午後から青空が広がりました。最高気温は13度ほど、風もなく温かく

感じました。このようなお天気の日にやらなくてはいけない仕事がありました。

それは年に一度の台所の排水管の清掃であります。もう5年くらい前でしょうか、

台所の排水が流れにくくなって、結局は業者さんに清掃をしてもらったのですが、

管のなかにびっしりヘドロがたまっていたとのことです。ということは定期的に

清掃をすると、こういう事態にはならないのかと、それからは年に一度晩秋の

お天気が良いときに、自分で清掃をすることになりです。

 シンクの下についているパイプを何箇所かはずして、外にもっていきホースで

パイプに水を通してなかのゴミを流してしまうことになりです。(人間の血管の

なかもこのように油がたまっているのでありましょうね。くわばらくわばら)

 土曜日でありまして、本日は新聞読書欄で目がとまりました。

 当方が最近に持ち歩いている森まゆみさんの「本とあるく旅」が紹介されてい

たからであります。

本とあるく旅 (わたしの旅ブックス)

本とあるく旅 (わたしの旅ブックス)

  • 作者:森 まゆみ
  • 発売日: 2020/08/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  文字が大きくて、収録の文章のひとつひとつが短いせいもあって、つまみ

読むには最適なものであります。昨日のインフル予防接種の待ち時間にも、こ

の本を持参して、開いておりました。

 なんとも小気味良い文章がならんでいます。

「私は高校の国語で習った『こころ』が好きじゃない。あんな意味不明な小説

をほんの触りだけ、教科書に載せるのは罪なことだ。『奥さん』をめぐる三角

関係の物語なのに、奥さんそのものは、まるで性格も考えもわからない。

・・漱石作品に出てくる女には一人として好感がもてない。『道草』の妻すみ

を除いて。」

 とか、また次のようにです。

「こういう自己中心の男と付き合う女は不幸になる。・・・啄木がどんなに

寸借詐欺でどんなに女癖が悪くても、この作品の先見性は認めざるを得ない。」

 このように森さんが書いているのは、啄木の大逆事件に際して書いた「時代

閉塞の現状」という文章に関してでありました。

 それにしても、女性の立場からしますと、とんでもない文士のなんて多いこと

でありますかな。