本日の調べもの

 夜にぼーっとTVを見ていましたら、エンディングのところで「DESPERADO

が聞こえてきました。あらまこれはどなたが歌っているものだろうかと、しばし

検索をかけることになりです。女性の声であると思われるのですがyoutube

でてくるのは、ちょっと立派すぎて、こんな歌い方ではなかったよなと思いながら、

違ったところでも調べてみました。

 ちょっと聞いたときには子どもがうたっているのかなと思って、それじゃこれか

と聞いてみたのですが、これは違うみたい。


The Langley Schools Music Project - Desperado (Official)

 それじゃなんだろうかと、女性が歌う「DESPERADO」で検索をしたら、当方

のほとんど知らない歌い手さんのものにヒットしました。こんな名前の歌い手さん

のことは知らなかったな。

 ということで、聞いてみましたら、こちらのがあたりかなと思いました。何かの

映像で使われたことがあるとかで、知っている人はこの歌い手さんのことを知って

いるようであります。


Kokia _ Desperado live 2004

 それにしても、この方はすでに20年以上のキャリアがある方だそうです。この

ライブ映像も2004年のものですから、これまで当方のアンテナにかかってこない

というのはどうしてなのかな。

 本日にこの調べものをしているときに、10月7日が松原みきさんの祥月命日で

あるということがわかり、しばし松原みきさんの音楽を聞いておりました。

先日に再放送のあった「カセットテープミュージック」という番組で、松原みきさん

の「真夜中のドア」が「第二回カセットテープミュージック大賞」の「最優秀アウト

ロ」賞に選出されていて、マキタ・スポーツさんとスージー鈴木さんのことを好きに

なったのであります。

 当方の手元にも、その昔にNHKFMの音楽番組ライブ音源で松原みきメドレー

というのをカセットテープにエアチェックしたものがありまして、このところをMP3に

変換し、聞いて楽しんでいるのですが、youtubeにあるどの音源よりも、このライブ

は松原さんらしくていいものではないかなんて思ったりです。松原さんは1959年の

お生まれということですから、生きていらしたら、今年は還暦でありますか。


Miki Matsubara 松原 みき - 真夜中のドア Stay With Me [ Remastered ]

お天気わろし

 昨日から引き続きで雨となりです。まだ暗い朝方にひどく強く降る雨音で

目が覚めました。このまま降り続くと大変なことになるなと思いましたが、

その前に雨は小降りとなりました。

 朝起きてから日課となる庭の見回りと思いましたが、本日は雨のために

中止、野暮用から戻ってからにしようと思ったのですが、17時過ぎに帰宅

したら、外は真っ暗となっていました。本日はお天気が悪いせいもあって、

早くに暗くなることです。 

 ここのとこ、秋のTV番組改編期となって、十数年ぶりでドラマが復活した

といって話題となっています。「時効警察」と「結婚できない男」であります

が、どちらも以前の放送のときに、楽しみに見物していたものです。

 「時効警察」はとぼけたコント(岩松了ふせえり江口のりこの)が楽しみ

で、推理に関わるとこはおまけみたいなものに思ってました。

「結婚できない」は、こんな扱いにくい人間は一人でいたほうが、まわりは不幸

にならないだろうと思いながら、高級オーディオでクラシック音楽を聞くシーン

が好きて見ておりました。こちらは本日からですが、こういう社会適応がへた

くそな人間には、さらに生きにくい世の中のようにも思います。こういうキャラで

生き抜くためには、まわりから先生と呼ばれるような仕事につかなくてはだめ

なのでしょうね。

 雨のなか、久しぶりのブックオフに立ち寄りです。予算はワンコインですが、

本日は文庫本のみの三冊。

 これはうれしいやと思って買ったのは、次のものでありました。

飛田ホテル (ちくま文庫)

飛田ホテル (ちくま文庫)

 

  自宅に戻って表紙をながめていたら、なんとかくこれは新刊時に購入している

のではと思いだしました。黒岩重吾さんのものを新刊で買うなんて、めったにない

ことですが、ちょうど黒岩さんの西成ものを読んでいたりしたので、勢いでありまし

た。たぶん、表題作は読んでいるはずですが、ここには社会適応できない人たちが

たくさん集まっていました。もちろん、ここには先生と呼ぼれる人はいませんですね。

「ヒトラーの時代」

 池内紀さんの「ヒトラーの時代」を読み継いでいます。本日は雨模様の一日

となりですが、雨の合間にすこし散歩にでたのをのぞいて、ほぼ自宅にこもって

いることとなりです。お天気が悪いせいもあって、気温が低くて、寒いことです。

ちょっとストーブをつけて、本格的な冬にむけての試験運転となりました。

 池内さんの「ヒトラーの時代」は、時代を描いていることになっていますが、

もちろん歴史家による歴史書ではありません。

 ヒトラーが政権を奪取するにいたった敬意とか、そのとりまきの振る舞いに

ついて書かれていて、どちらかというと、現在の日本人に警鐘をならすという

ことを目的にしているようです。その徹底さにおいて、到底日本人は、ドイツ国

に及ばないのでありますが、それでもこの先にあるのは、そうとうに窮屈な社会

であるようです。

 本日に読んでいたところには、「ヒトラー・ユーゲント」についての章がありま

した。書き出しは、次のようになりです。

「昭和13(1938)年8月、ヒトラー・ユーゲントが来日した。東京駅・駅頭の歓迎

の模様が写真で残されている。」

 そういえば、ヒトラー・ユーゲントは北海道にも来ていて、当方の住むまちにも

足を踏み入れているのですね。いったいヒトラー・ユーゲントは何回くらい来日

しているのかと思って検索してみましたら、昭和13年8月からの一度きりのよう

です。この滞在が90日にもなろうというもので、北海道から九州まで各地を視

察したようであります。

 当方のまちにもこのときの写真が保存されているのですが、それは彼らが

視察した工場で撮影した記録写真であります。このときに、歓迎の列にならんだ

かっての女学校の生徒は、とっても素敵だったよとアイドルを目にした少女の

ように、そのときのことを語ってくれました。

今月の「みすず」から

 そういえば、先月に届いた「みすず」はほとんど手にしていないことがわかり

ました。これは「みすず」が届いた9月5日頃に池内紀さんの訃報が伝わってき

たことと関係がありそうです。

 「みすず」は例月かなり読み応えあり(ちょっとありすぎるとこもです)なので、

気合をいれて読まなくては、めげてしまいそうになりです。数日前から池内さん

の「ヒトラーの時代」を読んでいますが、9月号には「『ナチス 破壊の経済』

発刊に寄せて」という山形浩生さんの文章が掲載されていました。

これは、まるでスルーしていたことに今ころになって気づきました。これは読まな

くてです。

 ということで「みすず」10月号でありますが、今月はこれまでのところ、二つの

文章を読みましたです。一つは松本俊彦さんの「失われた時間を求めて」という

もので、もう一つは五十嵐太郎さんの「皇居に美術館を建てる」というものです。

 松本さんの文章は、かって自殺予防の研究をしていたときの経験を書いたも

のとなります。松本さんの文章にある、次のようなくだりに共感を覚えます。

「 なぜ自殺と向き合いたいと考えていたのか。

  精神科医であれば誰でも、心のなかに自殺した患者の墓標をいくつか抱え

ているはずだ。そうした墓標群はふだん不気味な静けさを漂わせているが、何か

の拍子に、記憶の棺桶を隠している盛り土が風に舞い、地表に棺桶の一部が露

出することがある。そのたびに心に疼きというか、痛みに近い感覚が走り抜ける。」

 「精神科医」と「患者」という言葉を、どちらも「人」に置き換えれば、これは当

方にも共通の思いであります。この時代に、身近な人で自殺した人がいないなん

てことはないでありましょう。

 自分にそんな力があるのかと思いながらも、あのときに、ちょっと話をしていれ

ば、違った結果になったのではないかと思ったりするのであります。すでに亡く

なって何十年も経過したというのにです。

 松本さんの文章から、またまた引用です。

「最後の瞬間まで彼らは人とつながるツールを意識していたのだ。もしもそこに

誰かからのメールが、あるいは着信音があったなら・・もちろんそれはわからない

が、彼らがさいごまで迷っていたことは明らかだ。」

 橋に設置されたカメラに映っている欄干から飛び降り自殺をしようとしている

人が最後に手にしていたのは、携帯電話であったということから、上のように書く

のですが、自殺しようという人も、またつながることを求めているのですね。

薬物依存症 (ちくま新書)

薬物依存症 (ちくま新書)

 

 

あったものがない

 本日に「みすず」が届きました。いつもより何日か遅いかなと思いましたが、

こんげつはどうでありましょうかと、なかをのぞいてみましたが、昨月まであった

池内紀さんのコラムがなくなっていました。これはさびしいこと。

 池内さんについては、最後のページにある「編集部より」に、次のようにありま

した。

池内紀先生が8月30日に急逝されました。長年にわたりご愛読いただきまし

た。『池内紀の<いきもの>図鑑』は9月号の第187回が最終回となりました。」

 「みすず」は一年に11冊でありますので、ちょうど17年間連載したことになりま

す。もちろん、現在の「みすず」連載では一番長いものでありました。(これに続く

のは小沢信男さんの「賛々語々」の105回であります。)

  「みすず」らしくて、この「編集部より」のほかには、池内さんに言及した文章は

なしでありますが、ぱらぱらとページをめくりますと、ぱらぱらまんがのように「み

すず」からでた池内さんの著書の自社広告が目に入ってきます。

 それは、次のものであります。

亡き人へのレクイエム

亡き人へのレクイエム

 
罪と罰の彼岸【新版】――打ち負かされた者の克服の試み
 
本は友だち

本は友だち

 
祭りの季節

祭りの季節

 

 池内さんの本は、未読のものばかりですから、まだまだ楽しみは残ってはいる

というものの、やはりさびしいことですね。 

なんとか週末に

 今週の野暮用を終えて、明日から月曜までお休みとなりです。

ちょっとくたびれでありまして、こういうときはねころんで読み進むことの

できる小説本を手にするのが一番でありますが、さて、なにがいいだろうと

思案することです。

 それとも、気になっている池内紀さんの生前最後の著作となった中公新

書「ヒトラーの時代」を読んでみようかしらん。

  この本については、刊行直後に池内さんの記述に誤りがあるということで

話題となり、とんでもない本とレッテルを貼られそうになったものです。ちょうど

そのさなかに池内さんは亡くなったのですが、この焚書されそうになったものを

火中から拾い上げて評価しようとしたのが、新潮「波」10月号における川本三郎

さんであります。

 川本さんは、「『ヒトラーの時代』に込められたもの」というエッセイのなかで、

川本さんが毎日新聞書評欄のために書いた、この本への評(結局は紙面には

掲載とならなかった)を収録しています。

  書評の前におかれた川本さんの文章からの引用です。

「『ヒトラーの時代』を思い切って書いた池内さんの執筆のモチーフには、近年の

日本の非寛容な時代状況への危機感があったと思う。・・・少年時代、戦後民主主

義の明るい空気を吸って育った世代として、ネット社会になって、匿名で人を攻撃

したり、相手への敬意なしに自分の狭い知識をひけらかす若い知識人が増えた

ことには、正直、うんざりしていたことだろう。」

 このくだりは、池内さんに寄せていますが、川本さんも同じ思いなのでありましょ

う。ほんとうにどうしてこんなことになってしまったのだろうと思うのは、当方も同じ

であります。

 ほんの十数年前までは、まったく相手にもされなかったような泡沫 著述家が

権力者の庇護をうけて、なにやら権威者になったりするのですから、ほんとおそろし

いことです。まあ、そういうことは右にも左にもあることですが、今の日本では特に

右の人たちに対してですね。

 次も川本さんの文章からの引用です。

「率直にいって、いま『品のない言論』が増大した。平気で他社を悪罵、罵倒する。

書き手の『痛み』を理解せずに瑣末な間違いをあげつらう。説得ある批判とは、

他社への敬意、その人がどういう優れた仕事をしてきたかへの知識があって

はじめて成り立つのに、それがない。

 『ヒトラーの時代』とは、実は『私たちの時代』ではないかという危機感があった

と思う。」

 川本さんはこういうのですが、すぐさま「ヒトラーの時代」なにが悪いとか、それ

じゃ「瑣末な間違いをあげつらった」反百田の輩はどうなのかというのがとんで

きそうであります。

 しかし、こういうのが同じ土俵で論じられるということが問題なのでありますね。

666ページかな

 先日に小野正嗣さんが、文芸時評ガルシア・マルケスがヴァージニア・

ウルフの「ダロウェイ夫人」を読んで文学の勉強をするというエピソードが

マルケスの「生きて、語り伝える」にでてくると紹介されていたので、その本を

図書館から借りることになりです。

生きて、語り伝える

生きて、語り伝える

 

  この本は、本文だけで666ページあって、これはどこまで読むことができる

と思うことですが、まずは「ダロウェイ夫人」がでてくるところを探してみることに

しました。

 ということで、ぱらぱらとページをめくって、ウルフという名前を探すのであり

ますが、これが見つからずです。修行時代の話であるようなので、真ん中くらい

までに登場してもよろしですが、どうしたのかな。まさかおしまいのほうにでてく

るのではないでしょう。

 それとも、小野さんの文章を読み違えているかな。まずはこちらから読み直し

をしてみることにしよう。まだまだ調べは続くのであります。

 ちなみにこのマルケスの本の扉には、次のようにあるのでした。

「 人の生涯とは、人が何を生きたかよりも、

  何を記憶しているか、

  どのように記憶して語るかである。 」