ゴーストかスピーチか

 「本の雑誌」8月号が届きました。今回の巻頭特集は「ゴーストライター

の世界へようこそ」であります。

本の雑誌434号2019年8月号

本の雑誌434号2019年8月号

 

  ゴーストライターというのは、著名人にかわって、その方の名前で本を書く

作業をする人であります。タレントさんの本とかスポーツ選手などが書いた

ことになっているものには、ほとんど陰に文章を書く人がいることになりです。

このくらいはあったり前のことであって、別に驚くことでもなんでもありません。

 ところが、著名な作家(文章を書くことをなりわいにしている人ですね)の

名前ででたものを、別の人が書いていたとすると、どうでありましょう。

この特集では、そうしたものについても簡単に触れています。

 これは小説家とかにゴーストが存在するから話題となるのでありまして、

会社のトップや政治家などの演説とかあいさつをつくるライターがいるのは、

当然のことになっていますが、こちらは著作権などは発生しませんから、まあ

いいのでありましょう。(政治家があいさつなどでライターが書いたものを

読めば失言することはないのでありますが、そうでないときはかなりの頻度で

問題となる発言をするようであります。)

 今回の特集で取り上げられているのはゴースト・ライターでありますが、

ゴーストなのか代作なのかでありますね。ミステリー業界では「幽霊が多すぎ

る」というタイトルで新保教授が書いていますので、今はどうかわかりません

が、かってはかなり取り扱いがルーズであったようです。

小谷野敦さんは、「文豪とゴーストライター、または代作」というタイトルで、

興味深い話を書いていました。小谷野さんの書き出しは、次のようになり

です。

「 売れっ子作家にとって、代作はつきものである。現代においても、むしろ

小説家よりは、新書判を量産しているような評論家に、どうしてこんなにたく

さん書けるのか、これはゴーストがいるんだろうな、と思われる人が何人か

いる。」

 著作家によっては取材チームを抱えていて、分担して書いて、著者名のみ

を代表となる人で発表している例がありますでしょう。問題となるのは、そう

いうことでやっていながら、それをオープンにしないからでありましょうね。

 ゴーストライターが表にでた稀有な実例というと、香月泰男さんの「私の

シベリア」のことを思いだすことです。この本は、香月さんの話を聞き取った

ライターさんがまとめて香月さんの名前で発表したものとなりです。 

私のシベリア (1970年)

私のシベリア (1970年)

 

  それから数十年が経過して、このライターさんは有名になって、NHKTVの

ルポで香月さんの足跡を追ってシベリア収容所を訪ねるのですが、そのルポ

をまとめたものと、かって「私のシベリア」として発表したものを一冊にして、

自分名義の本をだすことになりました。

 これもこのライターさんがとても有名になったからでありまして、普通は

日陰の存在のままで終わるのでありましょう。

シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界

シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界

 

 

花にあらしの

 昨日は夕方から雨になりました。一時期はかなり降りが強くなり、そのうち

風もでてきました。雨だけであればまだしも、それに風がつきますと、花には

最悪の状況です。さすがに昨晩は雨のなか庭の見回りにいくこともなしで、

起きてからのお楽しみ(?)としました。

 今朝に見回りに行きましたら、花がたくさんついている背の高いバラほど

悲惨な状態となっていました。数年前の台風の時には、背の高いバラが

ばったりと倒れていて、それは大変なことになっていたのですが、その時に

支えを補強したこともあって、地面に倒れてしまうことはなかったものの、

花とはっぱに水滴がたくさんついて、それを振り落として軽くするのに一苦労

でありました。

 こういう時には、小さなバラが扱いよろしですが、写真のものは一昨年に

挿し木をしたシャーロット・オースチンで、はじめての花をつけたものです。

小さな木ですから、花は咲かせないほうがよろしですが、やっぱり花を楽しみ

たいものです。早々に花を落として花瓶にさして楽しむことにしましょう。

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 本日は久しぶりに自宅から遠くのほうにあるブックオフに足を運びました。

さて、予算はワンコインでどのような収穫があるかなと思っていましたが、あれ

この本がそんなところにあるのかと思い、手にしましたら、なんとワンコインで

二冊を購入することができました。

失われた時を求めて(1) 第1篇 スワン家の方へ 1

失われた時を求めて(1) 第1篇 スワン家の方へ 1

 

 

失われた時を求めて(2) 第1篇 スワン家の方へ 2

失われた時を求めて(2) 第1篇 スワン家の方へ 2

 

  プルースト井上究一郎訳で揃えた(文学全集版と文庫)のですが、やっと

「スワン家の方へ」を読めたかなでありまして、それ以降は手がつかずです。

読んだのはあの三段組の文学全集ですから、よくそこまででも読んだことだわ。

最近は岩波文庫版が刊行中で、これは知人がとってもいいよと言われている

のですが、文庫で9冊くらいまでは買っているのですが、いまだ読むことができ

ていないこと。

 井上訳と岩波文庫 吉川訳の間に鈴木道彦さんが訳した集英社版があり

ました。鈴木訳とこのように出会ったのも何かの縁と購入することになりです。

60代のうちに読んでおかなくては読めないであろうと思っていて、とにかくどの

訳がなじむか、この本も手にしてみることにしましょう。文庫とは違って、判型が

大きいので、それはありがたい。

気温があがらない

 夏に入っているはずなのに、このところずっと低温が続きます。

当地は、すでに一週間ほど最高気温が20度に届きません。本日のこれ

までの最高気温は17.5度で雨模様のせいもあって、ひどく寒く感じること

です。お年寄り家庭はストーブをつけたという話ですが、前期高齢者世帯

である我が家は、かろうじてストーブをつけずに過ごしていますが、ひざかけ

が欠かせません。

 明日から三連休ということで、図書館から借りてきている本をすこしでも

やっつけなくてはいけません。あと購入した本については、まったく読むこと

ができていないので、これもなんとかしなくては。なんといっても本を読む

時間がすくないからな。庭にでて花の世話をする時間のほうが楽しい傾向

にあって、こういうのが読書の敵でありますね。

 本日のこれからは、残りが少なくなっている「トラクターの世界史」を読ん

でしまうのですが、その前に、本日のブログのねたさがしで、昨日に借りて

きた「世界の書店を旅する」をのぞくことになりです。

世界の書店を旅する

世界の書店を旅する

 

  この本のありがたいのは、巻末に索引があることで、事項と人名で気に

なることをチェックできるようになっています。

 ちなみに日本の関係では、リブロにいったときに村上春樹の本を見たと

か、黒澤明が、日本橋丸善に行こうとしたが、ここは佐野利器の設計である

なんてことが書かれています。頭から読み進めたら、この記載があるページ

までたどりつけない可能性がありましたので、こういうのはありがたい。

 あと気になったのは、ブルース・チャトウィンに関してのところですが、旅に

生きたチャトウィンでありますので、この本の著者も愛読しているようであり

ます。

 本の初めのところには、チャトウィンが愛用したモレスキンノートについて

の記述があり、終わり近くには、パタゴニアに関してのところがありです。

パタゴニアで私は、地球上の他のどの場所でもしたことがないくらい熱心

チャトウィンの足跡をたどった。私が持っているムーチニク版の彼の処女作

には、その数週間でさまざまなものが挟みこまれ、原形をとどめないほど

分厚くなっていた。鉛筆で下線を引いたせいでできた畝に加え、バスの

チケット、絵葉書、観光客向けのパンフレット。」

こういう本との接し方というのは、よろしいですね。本に書き込んだり、付箋を

つうけたり、いろんなものを挟み込むというのは、なんとなく井上ひさしさん

のやり方のように思いました。

一日一手続き

 ご近所のお一人暮らしの老婦人がなくなって、その後始末であります。

電気、水道、電話(固定、携帯)、それに光通信NHKなどなどです。ものに

よってはインターネットを通してできるものもありますが、その場合にはID

とかパスワードが必要になったりしてで、その情報を収集するだけでもひと

仕事であります。お一人暮らしの方の後始末は、けっこう大変なり。

本日はドコモ携帯の解約でありましたが、これは店舗に足を運びましたら、

30分で終了しました。さすがどこも利用料金は高いだけのことはあって、

このような時にはサービス網が充実していてありがたい。

 なかなか苦戦なのは、光接続、固定電話、あまり有名ではないプロバイ

ダー契約でありまして、これは問い合わせを出したりでですが、なかには

電話でなくては解約できないものもありです。なんでもそうですが加入す

るときは揉み手で、抜けるときはすんなりとはいかないことです。

 図書館に本を返して、また借りることになりです。先週に借りて未読のも

のがありますことから、本日に借りたのは一冊のみです。

世界の書店を旅する

世界の書店を旅する

 

  本日は「はしがき」と「訳者あとがき」を読んでみることにしました。

 はしがきには「シュテファン・ツヴァイクの短編小説から出発して」とあるの

ですが、その冒頭に次のようにありです。

「私はここでまず、過去、現在、未来のすべての書店について、一篇の短い小説

シュテファン・ツヴァイクが1929年に帝国末期のウィーンを舞台に書いた『書痴

メンデル』に託して語り、その後、波乱に満ちた二十世紀をたどりつつ、読者と

本をめぐるその他の物語に触れるつもりだ。」

 このようにあるのを見ましたら、ツヴァイクの「書痴メンデル」という作品を読ん

でみたくなりまして、検索をかけてみたら「大人の本棚」にあるようです。

その昔は、みすず書房から「ツヴァイク全集」がでていて、その端本を何冊か持っ

ているのですが、この「書痴メンデル」が入っている巻は持っていませんです。

 「はしがき」もそこそこに、訳者あとがきを見てみたら、あらま誤変換がありです。

それもあとがきの一行目であります。これはお気の毒。

「『書を捨てよ、町へ出よう』といったのは寺山修二だが、その言葉を借用すれば、

本書の著者は旅をするとき、つねにリュックのなかに何冊かの本を入れているの

で、『書とともに、本屋を探して旅に出よう』ということになる。」

上に引用したのは、間違いもそのままでありますが、ひと目でなんとなくへんだな

と思いますでしょう。もちろん「寺山修司」が正しいのですが、寺山が亡くなったの

は、1983年5月でありますので、すでに35年になるのですから、日々に疎しであり

ますね。

 旅をするときにリュックのなかに何冊かの本というのは、当方も同じであります

が、以前に勝った文庫本で、同じような本があったことを思いだしました。

旅に出ても古書店めぐり (ハヤカワ文庫NF)

旅に出ても古書店めぐり (ハヤカワ文庫NF)

 

 

なんとか終了せり

 先日の通夜から本日の野辺のおくりまで、ずっと葬儀に入っておりまし

て、ほとんど親戚同様であります。むかしから遠い親戚よりも近い他人と

いいますからね、なんとか終わったという感じで、このあともその関係では

やることがあるのですが、あとは事務的な話であります。

 ということで、明日からはいつもの生活に戻ることになります。先日に

図書館から何冊か借りている本は、いまだ一冊も読み上がっていません。

「トラクターの世界史」くらい読み終えていてもいいのですがね。このあと

すこし読むことにいたします。

 トラクターのメーカーには、USAであればフォードがあり、ドイツではポル

シェも作ろうとしていたとのことです。イタリアはフィアットが、フランスでは

ルノーもです。なだたる自動車会社は、かなり古くにトラクターを製造して

いたことがわかりました。最近の自動車会社でトラクターを作っていること

で有名なのはランボルギーニでしょうか。こんな高価なトラクターを農作業

に使用するというのは、どんな仕事なのでしょう。

 いま読んでいるところは、「革命と戦争の時代」のところです。

「トラクターと戦車はいわば双生児であり、ジーギル博士とハイド氏のように

ドッペルベンガー(二重人格)の機械であったということができよう。

旧約聖書イザヤ書には『剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鍬とする』

とあるが、トラクターの登場によって、剣は鋤に、鋤は剣に自在に変化する

時代が到来したのである。」

 どんな道具でありましても、軍事目的にできないものはないのかもしれま

せんが、トラクターはスポーツカーよりも、ずっと戦車に近いものであるよう

です。 

本日はお通夜に

 ご近所に一人暮らしでいらした老婦人が、昨日にお亡くなりになり、本日は

お通夜となりました。昭和7年にお生まれでしたので、86歳でありました。

 その方は、軍人であった父を早くに亡くし、戦後に女学校をでてから北海道

にわたり学校の教師をしていましたが、生涯独身で家庭を持つことはありま

せんでした。

 当方の母と茶道を通じての友人であったことで、当方はおせっかいをする

ようになったものですが、なんとなく「銃後の少女」がそのまま成長したような

感じでありました。別に軍国少女というのではないのですが、旧制女学校で

過ごしたプライドの高さを感じたことであります。

 ちょうど、このところ大正から昭和ひと桁の女性たちの生き方に関心があっ

て、そのような世代のお一人だということで観察していたかもしれません。

そんな関心から手にした一冊は、次のものとなります。

女たちの〈銃後〉

女たちの〈銃後〉

 

 今年の2月に亡くなられた加納さんが1987年筑摩書房から刊行したもの

の復刻版となります。まさにこの時代に読まれるべきもののように思いますが、

版元が筑摩から「インパクト出版会」へと移ったというのが時代の変化を感じ

させることです。

 加納さんは1940年生まれですから、これは昭和15年、皇紀2600年であり

まして、幻の東京オリンピックがそれを記念し、開催予定であったのですが、

これは中止になったのですね。大政翼賛会がスタートしたのもこの年でありま

した。

 加納さんが取り上げているのは、ご自身が生まれた頃に活動していた著名

な女性たちでありまして、戦前、戦中と戦後も含めて検証されています。

 その時勢にあわせて生きざるを得なかったのは、銃後の女性にしても同じこ

とでありまして、その変節を厳しく断罪するわけではありませんが、そのことを

加納さんは残念がっています。

 そうしたなかで、こういう生き方は首尾一貫していると書かれていたのは、

エスペランティスト 長谷川テルさんでありまして、長谷川さんが書いた本が

紹介されていました。

 エスペランティストの長谷川テルさんについては、高杉一郎さんが本を書い

ていて持っているのに、未読でありました。この本も読んでみなくてはいけない

ことです。 

 

トラクターといえば

 しばらくは藤原辰史さんの本を手にすることになりです。先日は図書館から

「トラクターの世界史」を借りてきて読んでいます。

当方にとっては「給食の歴史」よりも「トラクター」のほうに興味がありでして、

こちらのほうがずっと面白く感じて、読みすすめています。

 北海道は、比較的大規模な農業経営となっていますので、それこそ当方が

子どもの頃はどこの農家さんにも馬が必ず飼われていて、農作業や運搬に活

躍していました。馬は人間の何人分もの仕事をしていましたので、それは大切

に扱われていました。それこそ軍隊でいわれる軍馬と一銭五厘の話でありま

すね。

 日本でいつ頃からトラクターが導入されたのかはわかりませんが、たぶん

北海道は国内ではかなり早いほうになるのでありましょう。国産のトラクター

というのはだいぶんあとになってから開発されるようになったのでしょう。

 それについても、この本には書かれているようでありますが、当方の子ども

時代のトラクターといえばフォード製でありました。

「トラクターの大量生産に成功したのは、『自動車王』ヘンリーフォードであ

る。」と藤原さんの本にもありました。

 北海道でフォードといえば、自動車よりもトラクターのほうが認知度が高

かったのかもしれません。

 先日に立ち寄った札幌の農業体験交流施設「さとらんど」にある子どもた

ちの遊びエリアに置かれていたのは、なんとトラクター型の乗り物でありまし

た。

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 いかにも「トラクターの世界史」を話題とするにふさわしい遊具であるな

と、どこぞの子どもさんがちょうど乗って遊んでいたのをぱちりであります。

たぶん、このエリアは「サツラクミルクの郷」といってサツラク農業協同組合

さんが運営しているのでしょうが、サツラクさんはトラクターを設置するのが

農業体験への端緒となると考えたのでありましょう。
  このような子どもが乗ることができるトラクター型の遊具というのは、なか

なか目にすることがなくて、いかにも北海道らしいと思いました。このボディ

には、メーカーのロゴがはいっているのですが、なんとこれはフォードであり

まして、正面にもエンブレムがはいっていました。

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 そういえば、車だけでなくトラクターも国内からはフォードは姿を消しつつある

ようです。

 USAのトラクターは、トランプさんの支持者が多いラストベルトの農耕を支えた

のでありますね。