重陽の節句

 すっかり影が薄くなっていますが、9月9日は重陽節句です。五節句というのだ

そうですが、桃の節句端午の節句とくらべると話題となることは少なしです。旧暦

での9月9日の頃は、菊の花が咲いていますので、それで菊の節句ともいうそうな。

 当地は春は遅くて、冬は早くにくるという暦で暮らしていますので、新暦の桃の節

句の時は、いまだ雪が残っていて、花をみることはできませんが、新暦で菊の節句

重陽節句)の頃は菊のつぼみがふくらみかけています。本日は菊の写真でも掲げ

ましょうかと思ったのですが、これはまだちょっと早すぎました。

 重陽節句というのを知ったのは丸谷才一さんの小説「今は何時ですか?」のお

かげでありまして、毎年、この9月9日は「今は何時ですか?」を話題とするよう

にしております。このあと、この小説をひっぱり出してきて、すこし読んでみること

にしましょう。

 今回の北海道の地震のせいで、電気のありがたさを再認識したという声があちこち

から聞こえてきます。電気を使ったツールにサポートされた生活というのは、当たり

前のことになっているのですが、ほんとうにこうした生活に飼いならされてしまっ

て、人間本来がもっていたはずの力が衰えてしまっているのではと思ったりします。

 ほんとに当方が物ごごろついたころに、自宅にあった電気を使うものといったら照

明器具くらいしかなかったように思います。最初にはいったのはラジオで、ついで

トースターでしょうか。

まあ60年も前のことでありまして、そんなことをいってどうするですが、現在の

飼いならされた生活の結果が原子力発電の必要性を否定できないようにしているので

あります。

 こちらでは節電20%目標としてとアナウンスされていますが、それが達成できな

くて、今の生活を続けたいのであれば、やりたくはないけどもしょうがないよねと

いうストリーなのでありましょう。

 便利さに喜んでいたら、そのつけは何かの形で支払わなくてはいけないようです。

 いまだにはてなブログには慣れないのでありますが、すこしでも読みやすいのでは

ないかと意識して改行するようにしています。ダイアリーにあったページビューが

なくなって、訪問者の解析などが見えない形で、充実していました。当方の場合は、

これのアクセス数を増やして、小銭をかせごうという考えはありませんので、どの

ようなルートでたどり着いたかは、そんなに重要ではないのですが、このような解析

を目にするのは、ちょっと楽しいことです。

   このところ記事を書くのは、Linuxfirefoxを使って、ページ幅にあわせているので

ありますが、これを保存してから、他のWindows版やMac版で開いてみますと、改行

位置がぐちゃぐちゃでありまして、これはいかんです。しばらく、これの試行錯誤は

続くことになりそうです。(無理して改行しなけらば、そんなことは起こらないので

ありますが)

行列には並びたくなし

 ある程度年齢もいっていることもあり、あまりバタバタとしたくないことであり

ます。そんなことをいっておきながら、はてなダイアリーが来年で終わると

アナウンスを受けて、非公開でブログを開設したのが9月1日で、それから

ダイアリーからブログへのインポートを試みたのですが、十年をこえる年数で、記

事の数も4200とかあったらしく、延々と作業は続いておりました。混み合って

いたこともあるらしく、結局全部引っ越しするまでに、5日くらいもかかったよう

です。

 ダイアリーをブログに引っ越ししてから、このあとどうしたらいいのかなと思い

つきました。インポート後にダイアリーに記事を残したとしても、それのインポート

はできずで、両方に同じ記事を残していかなくてはいけないようで、それは大変だな

と思っていて、いろいろといじっているうちに、なんとダイアリーには戻ることが

できないようになっていました。なんとまあ軽率なことであることか。

 いまさらインポートを取り消すというのも面倒でありますので、えいやっとブログ

で公開することとしたものです。

 これからしばらくの北海道は、お店とガソリンスタンドに長蛇の列であります。

たぶん、ネットでは、あそこのお店にいったら、これが買うことができたとか、

あれがあったという情報にあふれているのでありましょう。本日の段階では、

店には商品がほとんどなく、とりわけ生鮮食料品(肉、乳製品、豆腐など)は

まったくありません。停電のために、作ることができなくて、冷凍してあったものは

売り物にならずということになりです。

生産が軌道にのって、店頭にならぶまでにはしばらく時間がかかりそうです。

数少ない商品を確保するために、開店前の行列に並ぶことだけは避けることにしま

す。

 本日に届いたメールには、どこにいってもパンが売られていなくて、ずいぶんと

店をまわったが、結局だめだったとあります。幸いにして、当方のところはパンは

自家製でありますからして、これの確保のために走り回る必要はありません。

 昨日までTVを見たいと思っても、停電のために見ることができなくて、それで

すこしは本を読むことができたのでありまして、本日もおとなしく本を読んでいれば

いいのにでありますが、残念ながらほとんど読めていないこと。

本日読んでいたのは、堀江敏幸さんの「オールドレンズの神のもとで」であります

が、表題作が奇妙な味わいで、よくわからないけど、これはいいなであります。

20ページもない小品ですから、読み返すのも大変ではありません。

 わかりやすいから遠いところにあって、どう逆立ちしても「感動した」という

言葉を発することはないでありましょう。プロの小説家は読み手に「感動した」と

いわせない作品を発表して、読み手をうならせてもらいたいもの。

 

オールドレンズの神のもとで

オールドレンズの神のもとで

 

 

 

ひどい地震でした

 昨日の深夜にあった地震のせいで、ずっと停電が続いていましたが、本日の18時に無事通電しました。部屋に明かりがともったときには、思わず拍手してしまいました。当方は小学生の頃に開拓地に引っ越した経験があって、そこでの生活は電力会社の電気供給がなかったせいもあって、夜は懐中電灯くらいの明かりだけで、本を読むこともできませんでしたので、停電とはいっても明るい懐中電灯がある現在のほうが恵まれているようにも感じました。ガスと水道が動いていたせいもあって、煮炊きには困りませんでしたから。むしろ心配はご近所にお住まいの一人暮らしのおとしよりでありまして、ろうそくをつかったり、小さな懐中電灯で過ごしていたりでした。なによりも不安な気持ちで過ごしていたお年寄りたちがほっとしたと思われるのがありがたいことです。今回の地震で当方のところは震度5強でありました。過去に何度か大きな地震を経験したことがありましたので、それとくらべて特のひどく大きなものとは思いませんでしたが、ご近所の町で大きな被害があったのには驚き、すこしでもはやくに不明の方々が救出されることを願っています。こんな時期にとは思いますが、先日来やっていたインポート作業が完了して、ダイアリーとのリダイレクトというのをぽちっとしましたら、なんとすべての記事がはてなブログへと移行してしまいました。そういうわけで、本日からはお引越しとなりました。これまでのアドレスとはかわるのですが、以前のアンテナでリンクされていると、アドレス変更することなしにブログへと飛ぶようです。どうぞよろしく。

 

時間がかかりそう

 今年はほんとうに台風が多いことで、なんか毎週のように襲来しているように感じ
ることです。8月の終わりには、関西からの客人があったのですが、その時にも関西
は台風で、当初予約していた便は欠航となり、別便にのりかえてたどりつき、ことな
きをえました。
 それにしても、今回の台風21号には驚きました。特に当方が関西へといく時の
関空の状況にはびっくりです。完全な回復まではかなりの時間がかかるだろうという
ことですが、来月に予定している関西訪問までには普段に戻るでしょうか。
 時間がかかりそうといえば、はてなダイアリーからはてなブログへの移行でありま
すね。はてなダイアリーが来年春には運用中止になるということで、はてなブログ
の移行をおためししているのですが、はてなブログにダイアリーの記事等を
インポートするのに、えらく時間がかかっています。まあ、来年の春までに終われば
いいのでありますが、インポートにはいってから24時間たっても完了しないとき
は、お問い合わせをしてくださいとあって、まるで終わらないので、昨日に問い合わ
せをしてみました。
 とにかく、ダイアリーのユーザーが雪崩をうってブログへと移行作業に入っている
ようで、インポート作業が集中しているとのこと。そのうち、インポート作業は終わ
りますので、しばらくお待ちをと連絡がありました。
 さて、当方のダイアリーがブログにインポート完了するのに、どのくらいの時間が
かかるでありましょう。これが終わるのと、関空が使えるようになるのとどちらが
早いでありましょう。

「図書」9月号から 3

 本日も「図書」9月号から話題をいただきです。
 書物を話題にした文章の3つめは「江戸の編集者」という横田冬彦さんのもので
す。
「日本で最初に出版された農書『農業全書』 元禄十(1697)年に本文十巻、
付録一巻で、京都の柳枝軒という新興の書肆から出版された。このことがもつ書物
文化史上の意味を考えてみたい。」
 冒頭で、このように記されています。仏教書や医書などはすでに数多くでていた
とのことですが、農書は、なぜこの時期になってやっとでるようになったかについて
書かれていました。
 これについて、「読む人、書く人、作る人」のそれぞれについて検証がなされて
います。
 農書でありますからして、読む人は農業に関係している人でありますね。その当時
の農民のどのくらいが本を読むことができたのでありましょう。
 書く人は、宮崎安貞という人だそうです。
「安貞は、福岡藩士を三十歳過ぎで引退して牢人となり、自ら農業経営を行うととも
に、老農たちにも農術を尋ね、さらに山陽道畿内の先進地農法も調査した。じつに
四十年以上にわたる研鑽の成果をまとめたのが『農業全書』だった。」
 牢人とあるのを見て、なんとこれは誤植でありますねと思うのが情けなやでありま
す。時代小説などを読んでいる人には、当たり前のことかと思われますが、当方は
牢人という言葉からは牢屋に入れられた人しか思い浮かべませんでした。もちろん
当方の表記では浪人でありますね。
 そして作る人であります。
 版元は京都の柳枝軒でありますが、これをプロデュースしたのは貝原益軒であった
とあります。
「益軒には農民という読者がそれなりに見えていたと思われる。益軒は判から地誌
編纂を命じられて、古記録や古文書だけでなく、地名や名所、旧跡、寺社、祭礼、
伝承などを現地調査するために領内全域の村々を順次廻村した。彼の日記には、
村々の庄屋宅などに宿泊し、そこに集まってくる近隣の庄屋や古老たちと『夜話』
をしていた様子が帰されている。・・
 したがって、益軒は村の庄屋クラスの農民が、それなりに本を読める読者である
ことを知っていた。」
 これに続くくだりは、とっても刺激的でありまして、興味深いのでありまして、
是非とも原文にあたっていただきたしです。
 とここまで記して、最近に図書館の新刊棚で手にして、数日借りだした本のことを
思い起こしました。

日本近世書物文化史の研究

日本近世書物文化史の研究

 なんと、この「江戸の編集者」の筆者は、この本の著者でありました。どうりで、
貝原益軒のことがでてくることであります。
「日本近世書物文化史の研究」は、頭におかれたものを、ちらっと読んだだけであり
ましたが、「図書」の文章を読んだら、また手にしてみたくなりましたです。

「図書」9月号から 2

 今月の岩波「図書」は、本を話題としたものがいくつかありまして、これが興味深
いことです。
 昨日にちょっとあげた細見和之さんの「ジョン・レノンプルードン」もその一つ
でありますが、さらに本そのものを話題としているものが二つもありです。
 一つは、「書物と出会う」という山口信博さんのものとなります。この山口さんと
いう方はグラフィックデザイナーで、折形デザイン研究所主宰とあります。
折形とはなんであるかですが、その折形に興味を持つことにいたったのが古書店でた
またま眼にはいって、手にした「包之記」という和綴の刊本だったとのことです。
全ページに図版がはいるので、これを見るとおおよそ察しはつくものの、そえられて
いる文字が読めないので、この文字をなんとか読みたいと思ったというのが、この文
章の書き出しでありまして、それからこの本を読み解くための勉強を始めることにな
ると続いていきます。
 図書館へといったりして調べたら、自宅に折形を特集した雑誌とか書籍があること
が分かって、それを探し出してきて、むさぼるように読んだとあります。
その二冊について、次のように書いています。
「共に1978年に刊行されていました。二冊ともカバーデザインが美しいのでジャケ
買いをし、中味をほとんど読んでいませんでした。軽薄だと笑われてしまうかもしれ
ませんが、そういうところがデザイナーにはあります。もちろん内容に惹かれて本
を購入することもありますが、デザインが良くないとちょっとガッカリした気持ちを
持ちつつ読むことになります。」
 もちろん、当方は軽薄だと笑ったりすることはありません。
1978年の本でデザイナーさんがジャケ買いしたものは、なんであったろうです。
「その一冊が『銀花』という、主に工芸をあつかっている雑誌で、杉浦康平デザイン
による『白い折形』の特集号でした。もう一冊の書物は、『折形の礼法』という
山根章弘先生の著書で、杉浦康平さんのお弟子さんである辻修平さんのデザイン
でした。」
 ジャケ買いといえば、杉浦康平さんデザインという時代がありましたですね。
その昔、けっこう値段が高かった「銀花」も、最近はとっても安く入手することが
できたりで、安いと買ってしまったりします。ここで筆者が取り上げている「銀花」
を、小生も架蔵しているだろうかと、「銀花」がおかれているところをチェックして
みましたが、残念ながら、この巻は持っていないようであります。

折形の礼法―暮らしに息づく和紙の美学

折形の礼法―暮らしに息づく和紙の美学

 それにしても、古書店でたまたま入手した和本と、このように決定的に出会って
しまうことがあるのですね。

「図書」9月号から

 岩波「図書」9月号が届いておりまして、まずは今月の新刊と来月の刊行予定に
目を通します。
 なんといっても、当方が巡回するこの町の新刊本屋には岩波文庫、新書が入荷し
ないのでありますから、岩波新刊を市内の店頭で手にするという可能性は限りなく
ゼロに近いのであります。最近の例外は、佐藤正午さんの「月の満ち欠け」だけで
ありまして、それも直木賞を受けたことによる特例措置のおかげでありました。
 今月の岩波文庫新刊には、カルヴィーノのものが一冊はいります。読むことがで
きなくても、これはどこかで購入することにいたしましょう。

 カルヴィーノ岩波文庫といえば、すでに何冊かはいっているのですが、やはり
「木登り男爵」を入れてもらいたいものです。白水社は、売れ筋はなかなか手放さ
ないかな。
 「図書」で一番の楽しみは、来月の刊行予定一覧でありますが、ここに注目の
一冊がありました。
 鷲巣力さんによる「加藤周一はいかにして『加藤周一』となったか」であります。
これには副題として「『羊の歌』を読みなおす」とありました。自伝風の小説(な
のでしょう)である「羊の歌」を、鷲巣さんがどのように読むのか、とても興味が
あることです。この本は、四六判544頁とありますので、かなりのボリュームに
なっています。値段がどのくらいになるのかですが、これは買わなくてはいけない
ことです。
 掲載されている文章にも興味深いものがたくさんありです。細見和之さんは、
ジョン・レノンプルードン」というのを寄せています。大阪文学学校の校長先
生である細見さんは、いつのまにか京都大学教授になっていましたです。