知らない札幌

 一応は札幌生まれということになっていて、結婚するまでは本籍も札幌中央

区に置いておりましたが、住んでいたのはずいぶんと昔でありますし、住まいは

山の中とか、りんご畑のなかでありましたので、札幌といえば祖母の暮らす街と

いうことになりますね。

 当方のなじんだ札幌は、街のなかを馬車が行き交う(もちろん観光用では

ありません)ところでありました。そういえば、その時代のことは花森安治さんが

「札幌」という文章にして発表していました。「暮らしの手帖」73号 1964年

2月に掲載のもので、その後「一銭五厘の旗」に収録されています。

「このいくつかの小さい話は、中央政府に捨てられた北海道、そしてこの札幌の

町が、まがりなりにも、今日ここまでのびてきたのは、なんであったかをはっきり

教えてくれるのだ。

 それは、もちろん政府の力でもなければ、道庁の力でもない。北海道をいい

カモにした内地の大資本の力でもなかった。

 名もなく、権力もなく、財力もないこうした人たちの根性である。この人たちに

は、仕事はちがい、言葉はちがっていても、その底に共通した、ひとつの精神が

あった。

 それはクラークがいった、あのみじかい言葉に流れていたものと、おなじもの

であった。

 それは、開拓使本庁の八角塔の上で風に鳴っていた、あの旗の指さしたもの

と、おなじものであった。」      

 花森さんは、北海道に流れる開拓者魂をほめているわけですが、これに続い

て「東京と札幌のあいだにできた目に見えないコンベアーにのって、金が、仕事

が、人が、東京から札幌へ流れてゆく。」と現状を記しています。

「『理想』なき人間が、したり顔で国つくりをいい、人つくりを説いている。

そして、札幌は、いま泥まみれの盛装に飾られ、花やかな挽歌につつまれて、

東京のご都合主義の指さす道を、歩こうとしているのだ。」

一戔五厘の旗

一戔五厘の旗

 

  50年前に「東京のご都合主義の指さす道」を歩こうとする札幌といわれ

ているのですが、はたして現状はどうでありましょう。

 こんなことを話題とするのは、最近に「ブルータス」の「札幌の正解」という

のを特集した号を入手したからであります。「ブルータス」でありますので、

一般のガイドブックとはちょっと違った角度から、札幌のトレンドを紹介する

というものになっているのですが、ここで取り上げられるのは、ほとんど当方

に縁がなく、知らない札幌の一面であります。そして、あったりまえながら

花森さんが記していることは、問題にもなっていませんです。

BRUTUS(ブルータス) 2018年 11月15日号 No.881 [札幌の正解]

BRUTUS(ブルータス) 2018年 11月15日号 No.881 [札幌の正解]

 

 まあ札幌からすれば、国内外のあちこちから遊びに来てくれて、お金を

落としてくれればそれでいいのかもしれません。

 そう思っていたところに、目に入ったのは北海道で生まれ、現在は長野県立

で教鞭をとっている人の、次の本でありました。 

 なかをぱらぱらと見ましたら、次のようにあり。

「明治政府による北海道の開拓は、日本の人口増の受け皿の一翼を担って

きたが、戦後の鉱業都市の衰退や産業構造の転換などによって、札幌市以

外は軒並み厳しい状況となっている。」

 花森さんがいうところのカモにされないことが、地方には大切ということ

でしょうか。