本日は夜になってから残っている酵母種(これがまったくあがらない種なもの
ですから、ドライイーストを加えて使います)で、ロールパンを作ることになりです。
ミニバケットにしようか、ロールパンを作るかすこし考えたのですが、ミニバケット
のほうがすこし手捏ねする工程が入るので、本日は回避することにです。
あれこれとほかにもやることがあったりすることもあって、パンの焼き上がりは
23時になってしまいました。まったくながら作業でありまして、集中してやれよな
と自分を叱ることです。
元々は、本日の夜はちくま文庫 野溝七生子「山梔」(くちなし)を読んでしまう
つもりでいたのでした。残りが百ページくらいになりましたので、一気に読んでしま
うことも可能でしたが、パン作業をしたり、ネットで予約作業などをやっていましたら、
これに時間を取られてしまいました。
ネットでの予約は、なんどやっても最後のところで完了せずで、エラーになるので
すが、どうやら当方の環境が推奨ではないことから起こることのようでありました。
リナックスミント+ファイアフォックスというの組み合わせは、以前は受け付けてもら
えたように思いますが、今回はだめでありました。ファイアフォックスがだめのようで
すし、ひょっとしたらリナックスミントもだめなのかもです。
結局は、ウィンドウズとグーグルクロームという組み合わせで予約完了すること
ができました。覚えておかなくちゃ、これでだいぶん時間をロスしましたからね。
野溝さんの「山梔(くちなし)」は、以前も記しましたが、200ページを過ぎた頃
からやっとページが進むことになりました。これが1926年に発表されたものとは
思えませんが、読んでいますと、あちこちに今とは違った言葉の使い方とか漢字の
ふりがながあるのでした。
この文庫の285ページには、次のようにありました。
「輝衛に描いただけでも慊らずになお母にまで」
この「慊らずに」でありますが、これは西村賢太さんの小説に比較的でてくる
言葉でありまして、西村さんはもちろん大正時代の小説を読み込んだなかで、こ
の言葉を自分の小説に取り込んでいるのですが、野溝さんは、その言葉が使わ
れていた時代の人なのだなということを、このくだりを目にして感じましたです。
「慊らずに」には「あきたらずに」ふりがながありました。